求道blog

堀江メールと謝罪行為

Posted in 社会 by UBSGW on 2006年3月6日

堀江メールで謝罪広告掲載へ、ですか・・・。
議場で武部氏に深々と頭を下げる永田氏の姿が先日の新聞にも掲載されていましたが先日書いてみたプリンシプルに絡めて”謝罪”行為について書いてみます。

だれしも、会社の上司・同僚・友人・後輩、相手にかかわらず、日常生活のなかで、自分の行為について何らかの謝罪せねばならない時がありますが、謝罪とは礼(礼儀)の一つです。感謝にせよ謝罪にせよいかなる類の礼をとってみても、肝心要になるのはやはりそれを表現する型(形)以上に、感謝の”気持ち”、謝罪の”気持ち”であると思います。
「とりあえず頭だけ下げとけばいいんでしょ」では駄目なのは自明のはずです。  (※永田氏がそうだということではありませんので念のため。)
ところが実際にはそのようにしか受け取りようがない”謝罪”が巷には溢れているような気がします。例えば政治家がよくやる失言問題ですか。とくに戦争犯罪や靖国問題に関して、中国や韓国の反発を招く発言が、とくに近年多くみられるようになってきました。そうした場合に、失言の当事者が前言を撤回したり(一応の)陳謝の意を表明することがありますが、あきらかに”これっておかしいぞ”と思うことがしばしばあります。
「世間を騒がせた」「我が党に迷惑をかけた」から謝罪します、などというのは子供から見ても論点のすり替えでしかないのは明かであるにもかかわらず、さほど問題視されないことが多いのは一体どういう訳なんでしょうね。

ちなみに、今回のメール問題に関しては、(ちょっと極端な物言いになるかもしれませんが)永田氏が謝罪すべきであるとするならば、それはメールが”偽物”であった点に関してではなく、メールの信憑性を確認(調査)するにあたって重大な過失があった点にあると思います。もちろん永田氏の謝罪の真意がどこにあるのかは知る由もありません。また、謝罪を行う当事者の意思はともかく、相手方に対してはメールが偽物であった事に関しても謝罪の意を表さなければ相手が納得しないのは当然でしょうけれども、永田氏自身はメールが偽物であったことよりも、むしろ自らが重大な過失を犯した点を反省されるべきだと思いますし、そうであって欲しいと思います。
メール自体は偽物であったとしても、武部氏に関する疑惑そのものが偽物・事実無根であったと証明されたわけではないですし。なんにしても今回の件は自民党を追及しようとした民主党にとっては大きな痛手であったと思います。

はて、プリンシプルの話はどこにいったのか?
そうでした、プリンシプル principle。

何事かについて謝罪するとしても、「どういう事に関して、どの点に関して謝罪するのか」が大事なのではなかろうか、ということを書きたかったんですが・・・。こうしたところが不明確なままで単なる謝罪をしても茶番でしかないし、問題は(根本的に)解決しないのでは、ということなんです。
ちょっと観点を変えて、もっと卑近な例で言えばこういうことです。一方がどういうところに不満を持っているのか、どのような対応を求めているのかが分かれば、つまり、対立点が明確であれば、相手方の釈明や謝罪によって解決できるのに、そこのところが不明確なままであるが故に問題はこじれるばかり、なんてことが往々にしてあります。思うに、双方に解決の意思があり、かつお互いのコミュニケーションを通じて対立点が明確になれば、解決は可能、少なくとも決着はつくはずです。(分かりきったことですが)

今日は書き進むうちにテーマを忘却していつも以上に支離滅裂な文章になってしまいました・・・。ま、自分自身の気分転換でやっていることなので・・・(言い訳です)

以上、この本を読みながら考えたことを羅列してみました。
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