求道blog

お役所仕事

Posted in 行政 by UBSGW on 2006年7月18日

衰弱知りながら給水停止(朝日新聞)

遺体発見が5月下旬、ということは約2ヶ月前ですが・・・・。
丁度昨日「役人の頭」という一文を読んだばかりでしたので、この記事に目が行きました。

以下、法学者末弘巌太郎「役人の頭」から引用

人間はただ「良心」と「常識」とに従って行動しているのであって、「法律」によって行動しているのではない。

ことに、法治主義のもとにおける役人は法律によってかなりの程度に裁量の自由を制限されています。したがってうっかり融通をきかせた処分をやってしかられるよりは、まずまず法律の命ずるところを形式的に順奉していさえすれば間違いがない。そのほうが得である。第一、骨が折れなくていい。役人が一度こう考えたが最後、彼はただ法律を形式的に順奉することだけを心がけるようになり、法律の目的や役人の職分を忘れるようになる。ここで立派な官僚が出来上るのです。元来、法治主義はあらかじめ法律を決めておいて役人の専恣を妨げ、これによって人民の自由を確保する目的でできた制度である。しかるに、その法律がかえって役人の官僚的な形式的な行動に対する口実となってしまう。かくのごときは決して法治主義本来の目的ではなかったのです。しかし一方において役人を法律によってしばれば――ことにしばりすぎれば――その当然の結果として役人の行動が形式化しやすいのは当然です。なぜならば、自由のないところに責任は生まれないから。

青空文庫

ところで、朝日の記事は、記事の末尾で町内会役員の口を借りて役所の対応を批判しているように読めるように思います。”誰もが”って本当?一般人の”会話”としてなら何の違和感もありませんが、”報道”機関の役割は、単純に「あの人がそう言ってたもんね」ということだけを世にバラ撒くといったものではないような気がします。

「あの人が○○って言ってたよ」というのは単なる伝聞に過ぎないわけですが、もしその発話者が報道機関である場合は単なる伝聞と聞き手が認識する事は残念ながら少ない(報道機関に対する信頼が厚い)のではなかろうかと思います。

それ故、強いて言えば、情報を適切に濾過することが報道機関の責務の一つなのではなかろうか、と思います。と同時に読む側も報道記事の総てを鵜呑みにしない眼力を持たなければならないとも思いますが・・・。そうした眼力を持った読み手の育成こそ社会の木鐸たる言論・報道機関の責務だ、というのは今の日本のマスコミには酷にすぎるでしょうか・・・。

一言で言えば、有識者なり一般人のコメントを安易に掲載することは、新聞が他人の言を隠れ蓑にしてする自己主張のように思えてならないということです。この記事で言えば最後の一文は蛇足ではないか、ということなんです。この部分に関しては言責はどこにあるのか。この役員さんか、それとも新聞社か。記事からは読み取れませんが、この役員さんが匿名になっている以上、新聞社にあると考えるのが筋のはずですが、それならば新聞社としての主張だと分る形で記事を書く事は可能でしょうしそうすべきではないかと思います。

この記事にかぎらず、同様のことはテレビでも新聞でも毎日のように目にします。記事を書くならあくまでも自己責任で書いてみたらどんなものでしょうか。官僚は役所にだけいるとは限らないように思うのは私だけでしょうか。
ひとつはっきりしているのは、一人の人間が、窮状を知られながらも亡くなった、ということ。合掌。

こういう事を書きながら、じゃあ自分は何者なんだよ、ということも考えて気が重くなってきました・・・。こういう事を書くだけじゃ何にもならないわけで。今日のところはこのままupしますが。


最近、ブログの文章が引用ばかりで、たまに書いても支離滅裂で羞かしい限り。あくまでも私的なぶろぐである、ということを強調して言い訳にします・・・・。文責吾にあり

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