求道blog

ラング『りこうすぎた王子』

Posted in 書籍一般 by UBSGW on 2006年9月19日

再読。

生まれた時に仙女に魔法をかけられて「りこうすぎる」人間にされた王子が主人公。長じて、小理窟を並べ自分を正当化し他人の言を封じる、そういう”イヤな奴”になってしまいます。当然、周囲の人びとからは蛇蝎の如く嫌われてしまいます。この呪われた王子が、ある女性との恋がきっかけで大きな変化を遂げます。

あとがきによれば作者のアンドリュー・ラングはかなり早熟かつ博識の人物だったようで、ひょっとしてこの作品には作者自身が悧巧馬鹿を自己批判する意図があったのかも、などと考えもしました。

運命の女性との出会いの後、お約束の化物退治を経てめでたくハッピーエンディングというストーリーは、ありきたりといえばありきたりな話です。私自身、以前読んだことをすっかり忘れていて、裏表紙に記入していた読了日を見てようやく、もう十数年前に一度読んでいたことを思い出したくらいです。はっきりいって記憶に残っていませんでした。

しかし、今回再読してみて色々考えさせられました。
悧巧すぎる王子を「イヤな奴だ」と感じる自分の内にも、じつは王子と同質のなにものかがあるのではないか?
自分は正しいという思いこみが自分の中にはないと断言できるのか?
(真理が存在するという前提で)ある考えが論理的に正しければ、それは”真理”といえるだろうか。

そんなことを考えました。

かつては、ゆとり教育も戦争放棄も日本国憲法もそれが”理想の実現”であるかのように語られた(主張された)一時期がありました。そのどれもが自らの”正しさ”を論理的に(論理的であるかに装って)唱えていたはずです。

では、今は?

ゆとり教育は教育の崩壊をもたらした、戦争放棄は国際社会の実態にそぐわない等々・・・。実際にそうした側面があった、あるいは現にあるのかもしれませんが、かといって”それがすべて”ではないような気がします。

「ゆとりがだめなら厳格に」では浅薄ではなかろうか。それこそ”論理的は”、より理想的なゆとり教育を目指す方向もアリなはずです。どちらが望ましいのかは万機公論に決すべし、でしょうが・・・。

万機公論と言えば、

「押しつけ」憲法であるが故に改正すべしと主張する方々は、それが国会両院で審議・可決された上で公布されている事実をどう捉えているのでしょうか。当時の日本が占領下にあったから、とでも言うのでしょうか。

・押しつけられたものだから改憲
・占領状態であったからしかたなく新憲法制定
・欧米列強の帝国主義的アジア侵略に対抗するために開戦
というのでは、なんでも他人が悪いから、環境が悪いからしかたなくやったんだという”子どもの理屈”にも思えます。「僕わ悪くないもん!!」

憲法が押しつけられたものであることを理由に改憲する唯一の機会は、日本の独立回復直後にのみあったのかもしれません。中国・韓国との国交回復は改憲を済ませた後にするべきだったのかも。でないと”遅出しジャンケン”と非難されても返す言葉がないのでは。

などと、いまさら言ってもはじまりませんが。
しかし、改憲論議にあたっては「押しつけ」は今さら理由にならないと考えます。改憲が可能になった後も数十年にわたってこれをせず、かえって無理な解釈を重ねて誤魔化し続けてきたわけですから。それこそ白洲次郎的に言えば、この期に及んで”押しつけを理由に”改憲することは、ゲスの所業でありプリンシプルの欠如ではないのか。

改憲するならするで自らの責任を自覚した上でするべきだろうと思います。
他人のせいにせずに。

原因を他国にばかり求めるかのような主張がなんの違和感もなく唱えられるようになったり、自由な言論が不可能になったら歴史は再び繰り返されることになるのではないでしょうか。はたしてそれはかつての戦争で犠牲になった方たちの望んだところなのでしょうか。

あれあれ?童話の話だったはずなんですが・・・・。

童話からもけっこう思考のヒントが得られるもんですね(^_^;)

何を言いたいのかよく分からない文章になってしまいましたが、ただの遠吠えということでこのままにしておきます。(byおろかすぎる管理人)
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コメント / トラックバック1件

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  1. コミカル・ミュージック said, on 2006年10月2日 at 21:03

    馬鹿なアメリカ人の子供たち

    私は「あずまんが大王」というアニメを見たが、そこに登場する教師は教育界から処分されるべき連中であると確信した。ここまで最低な教師が存在していたとは、これが小泉のもたらした「ゆとり教育」の実態である。確かに??


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