求道blog

木乃伊取り

Posted in 人間心理 by UBSGW on 2006年10月15日

まだ読みかけです・・・。

ミイラ取りがミイラになりかねない恐ろしさ。
安易な同情、覚悟の足りない仏心は我が身を滅ぼしかねない。

治療者にしろ教育者にしろ、人格の変容・回復に関わっていく者に要求される覚悟というものを改めて感じます。

転移反応も逆転移反応も避けられない。同じく避けられないのは、両方の反応が良質の治療関係の発展を妨げることである。(したがって)患者・治療者双方の安全のためにある種の防護法を講じることが必要である。

著者が挙げる防護法
・治療契約による目標・ルール・境界の画定
・治療者に対するサポート・システム

何びとといえども単独で(心的)外傷と対決することはできない。治療者が臨床実践において孤独を自覚したならば、適切十分なサポート・システムを得るまでは外傷患者の治療を中止すべきである。

私自身も、そうしたバリアなしに不用意に被治療者に関わることは、ときとして治療者自身の社会的破滅や人格の破壊をもたらしかねない危険性を孕んでいると実感します。
とりわけ被治療者が治療者と個人的に親密な人間、身近な人である場合に、治療者自身が気づかぬうちに治療者(しかも”不用意な”治療者)の立場に立ってしまっているケースがあるように思います。(こうした場合、厳密には治療者・被治療者とは言えませんけれど。知らず知らずのうちにそうした役割分担が出来てしまうことがあるようです。)

しかもそうした治療契約なき治療・被治療関係は、当事者間にそもそも契約を交わしたという明確な認識を欠くため、当事者の一方が既に二者の関係から離脱したと思っていても他方がそう思っていないというギャップを生じさせることがあるように思います。その場合、問題は非常に解決困難になります。

一方で、治療者として相手に関わることによる恩恵もある。

治療者は、自己自身および患者にたえず統合力を育てるようにとたえず努めているうちに自分自身の人格の統合性を高める結果となる。

そして「信頼」について

基本的信頼が人生の最初期における発達においてかちうるものの代表だとすれば、人格の統合性integrityとは成熟期のおける発達においてかちうるものの代表である。

信頼とは(中略)”相手の人格の統合性に安んじて頼ることである”

と著者は言います。

読み通してからまた改めて書いてみます。

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