求道blog

チョムスキー・辺見対談

Posted in 社会 by UBSGW on 2006年10月17日

以前書いた辺見庸とチョムスキーの対談の日本語訳を見つけました。
(但し原文と対照して訳文を確認することはしていませんので念のため。)

9・11テロ直後のアメリカにおいて、反テロ一色に染まったマスメディア。辺見庸は再三その事に関するチョムスキーのコメントを引き出そうと試みていますが、チョムスキーはその問いにストレートに答えることはせず、アメリカにおいてはあくまでも言論の自由は保たれている、と強調します。

批判的な立場をとると、脅迫の手紙を受け取ったり、人から嫌われたり、新聞に悪く書かれたりはする。そういうことが起こりうる、という現実に不慣れな人は驚きはするでしょう。しかし、ここで起こっていることなど、どうということはないのですよ。それを取り立てて言うこと自体、「不面目」なことです。

しかしながら彼は、現在のアメリカが真に”自由な国”だとは考えていないようです。
(ブッシュ大統領の「悪の枢軸発言」に関して)

富裕層対象の減税や軍事費の膨張は必然の結果をもたらしています。例えば、一般の人びとに対する社会政策費は削られている。これは、すでに限られたものでしかない社会援助をされに痛めつける攻撃です。こうまで痛めつけられては、政策を維持することができないでしょう。そういう事実から、国民の目をそらしたい。
・・・・・・
また政府は、今日の石油会社を利するためなら、明日の子供達が生きる環境を破壊してもまったく平気だという事実に、国民の注目を集めないようにしたい。

そしてそうした為政者たちの目論見は成功していると考えているようです。

この国(アメリカ)には言論統制はない。しかし、情報が表に出てこないということです。ただし、これは選択の結果です。統制ではありません。

ここで彼が言う「選択」の主体は誰か。それはマスメディアであり情報消費者すなわち一般市民だということです。
この点、アメリカに限った話ではないようです。日本にも挙げれば切りのないくらい多くのタブーがあるのではないかと思うのは私だけではないと思うのです。

日本の保守政治家が「わが意を得たり」と言いそうなことも言っています。

負けた国だけが「悪いことをした」と言わされる。第二次世界大戦後の東京裁判が行われたのは、日本が負けたからです。ワシントン裁判などというものは開かれませんでした。毒ガスを使ったチャーチルに対する戦争裁判もありませんでした。敗れたときにだけ、自らの罪を見つめる。そのように仕向けられるのです。

ただし、この後に彼は昭和天皇の戦争責任を強く肯定している点だけは「いただけない」ということになりそうですが。

一体9・11テロは何だったのか。これについては

9月11日のことで人びとが何よりショックを受けたのは……あの行為は大変に残虐でした。しかし衝撃的なことはあれだけではない。残虐非道な行為はほかにもたくさんあります。ただ西側で起こったのはあれが初めてというだけのことです。世界の他の人びとに対して、我々がやってきたことなのです。他の人びとはこれまで、我々にあんなことをしなかった。だからショックだったのです。

と述べています。

日本の戦後についても彼は明快に断罪します。

日本はこれまでもアメリカ軍国主義に全面的に協力してきました。戦後期の日本の経済復興は、徹頭徹尾、アジア諸国に対する戦争に加担したことによっています。朝鮮戦争までは、日本の経済は回復しませんでした。朝鮮に対するアメリカの戦争で、日本は供給国になった。それが日本の経済に大いに活を入れたのです。ヴェトナム戦争もまたしかり。アメリカ兵の遺体を収容する袋から武器まで、日本はありとあらゆるものを製造して提供した。そしてインドシナ半島の破壊行為に加担することで国を肥やしていったのです。そして沖縄は相変わらず、米軍の一大軍事基地のままです。50年間、アメリカのアジア地域における戦争に、全面的に関わってきたのです。日本の経済発展の多くは、まず、その上に積み上げられたのです。

 
少なくとも日本の一部政治家の継ぎ接ぎだらけの言説よりも明快で分かり易いのは確かです。

最後に彼は言います。

他人の犯罪に目をつけるのはたやすい。東京にいて「アメリカ人はなんてひどいことをするんだ」と言っているのは簡単です。日本の人たちが今しなければならないのは、東京を見ること、鏡を覗いてみることです。そうなるとそれほど安閑としてはいられないのではないですか。

これなどは、私たちの身近な出来事に関しても通じるものがありそうです。
いじめを断罪するのはたやすい。
いじめを助長した教師を吊し上げるのもわけない。
しかし、同様のことが自分の身の回りにもありはしないか。

いじめっこの犯罪に目をつけるのはたやすい。PCの前にいて「教師はなんてひどいことをするんだ」と言っているのは簡単です。その人たちが今しなければならないのは、自分の職場や教室を見ること、自分の内面をを覗いてみることです。そうなるとそれほど安閑としてはいられないのではないですか。

いまさら私ごときが紹介するまでもない”戦う知識人”ですが、覚書を兼ねて書いてみました。

チョムスキー自身のサイトは
http://www.chomsky.info/

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