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ユング『転移の心理学』 その2

Posted in 人間心理 by UBSGW on 2006年10月28日

大学生のとき、林先生のゼミでユングを勉強していたころ、「本当の理解とは難解な思想を平易な日本語の文章で表現できることである」という先生の信念をたたき込まれたように思う。

そう訳者の一人磯上氏はあとがきにかいていらっしゃいます。その伝でいくと、この本に関する私の理解度ははなはだ怪しいものです。とてもではないですが、読みながら自分が感じたことすら満足に書けません。ですので、傍線を引いた箇所の一部だけ下に挙げつつ感想に替えます。

以前のエントリで河合隼雄の『影の現象学』の感想以来、無意識、影、言葉に出来ないもやもやしたなにか、などを肯定する記事を書きながら気になっていたのは、どうかするとそうした私の思いがおかしな風に曲解される恐れがあるかも、ということでした。念のため申しますと、私は無政府主義者でも体制破壊論者でも右翼でも左翼でもはたまた世界征服を企むDr.イーブルでもありません。悪しからず。

※Dr.イーブルは映画「オースティンパワーズ」の登場人物です、念のため。

そこでユングの一文。

倫理的な基準としては善悪は依然として不動であり、また刑法典や十戒、それに伝統的キリスト教のモラルが理解しているような単純な事実としてなら、善悪は疑う余地がない。

しかし義務と義務の衝突ははるかに微妙かつ危険な事柄であり、また人間と物事をよく知る鋭敏な良心はもはや条項や概念や美しい言葉では満足しない。この良心は、発達を望んでいる、原初的なこころ(ゼーレ)の残余との対決をとおして不安を感じ、なんらかの路線ないし不動点を探し求める。

私が言いたいことはまさにその点なのです。私は決して犯罪や不道徳な行いなどを肯定するものではありません。しかしながら、「果たしてこれは善悪の問題か?」と思うことはままあります。一部マスコミの論調や世間に流布する言説が、どうにも違和感なしには受取れないことがあります。かといって、そうした様々な主張や物言いを「つまらん!」の一言で片付けることもまた、自らの謬見を以て他を否定(断罪)することのように思ってウロウロしているような次第です。

最後に

われわれの世界に欠けているものとは、こころ(ゼーレ)のつながりであり、それはいかなる専門組織、利益共同体、政党、国家もけっして代わりをつとめることはできない。したがって人間の真の要求を最初にもっともはっきりと感じ取るのが社会学者ではなく、むしろ医師であるとしても、なんら驚くにあたらない。なぜなら医師は心理療法家として、きわめて直接的に人間のこころの苦悩と関わるからである。

いま何かと取りざたされている学校の先生なども、他人の心に関わるという点で心理療法家と似たようなところがあるように思います。教師としての資質云々の問題もなきにしもあらずのケースはあるのかもしれませんが、それと同時に何故先生たちが(総体として)”そのようにあるのか”を考察することも必要なのではないか、「誰が悪い」「原因は○○だ」などという現象の安易な単純化は、根本的な解決をもたらすどころか問題の本質そのものをぼかしてしまうことになりはしないのかなどと考える昨今です。しかしこの本、面白かったです。
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