求道blog

憲法記念日改め文化の日

Posted in 政治 by UBSGW on 2006年11月3日

今日は憲法記念日 文化の日。60年前の今日、日本国憲法が公布されたんですね。(「憲法、憲法」と思いつつ書いていたら、つい”憲法記念日”になってしまいました。帝政もとい訂正。)
果たして現行憲法の余命はあと何年でしょうね・・・。

いったん決めたルールは何があっても槍が降っても核ミサイルが落ちてきても変えるべきでない、などとは思いませんけれど。決めても守られない学習指導要領などとは違って、憲法は国法の根幹でしょう?さすがにノリや勢いやらで変更されることはないであろうと一国民は思っておりますがいかがでしょうか。
「あのときはああ言ったけどさ、事情が変わったんだ」
そういうことですか?
「それならそうと最初から言っててくれればよかったのに」
などというのは引かれ者の小唄、でしょうか。

こんどのあたらしい憲法は、日本國民がじぶんでつくったもので、日本國民ぜんたいの意見で、自由につくられたものであります。
この國民ぜんたいの意見を知るために、昭和二十一年四月十日に総選挙が行われ、あたらしい國民の代表がえらばれて、その人々がこの憲法をつくったのです。
それで、あたらしい憲法は、國民ぜんたいでつくったということになるのです。
これからさき、この憲法をかえるときに、この前文に記された考え方と、ちがうようなかえかたをしてはならないということです。
主権は日本國民ぜんたいにあるのです。ひとり/\が、べつ/\にもっているのではありません
みなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
みなさん、あたらしい憲法は、日本國民がつくった、日本國民の憲法です。これからさき、この憲法を守って、日本の國がさかえるようにしてゆこうではありませんか。

文部省著作発行「あたらしい憲法のはなし」(青空文庫)より抜粋

お国の言うことは状況次第で如何ようにも変わるのだよ、ということを日本国憲法が今度はその死を以て教えてくれることになるのでしょうか。

附記(2006/11/16)
「あたらしい憲法のはなし」は1947年発行。慶応大学の浅井清氏らが実質的な執筆者だそうです。発行直後には中学生の社会科教科書として使用されたものの、GHQ・日本政府の保守化に並行して1950年(朝鮮戦争勃発の年)には副読本に格下げされ、51年以降は全く使用されなくなったのだそうです。(参照:ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて 下巻』)

今どきはやりのことばでいえば、「占領されてたから仕方なかった」というところでしょう。私がこの記事で言わんとするところが伝わりにくくなるような気もしますが、公平を期して記しておきます。

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コメント / トラックバック5件

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  1. Dr. Waterman said, on 2006年11月4日 at 0:39

    印象深い資料を読ませていただきました。ありがとうございます。戦後の喜びが伝わってきますね。

    しかし、核はとも核(あっ、間違った)、憲法は無闇に変えるものではないにしても、改正条項があるのですから、日本でも変えてかまわないのでしょうね。やたら神経質になって変えない変えないと言っていると、どこかの頑固な宗教(正統だけだ、異端はダメー、修正はダメー)のような気がします。

    人の作った法規は、世につれ、状況の変化に従って変えていいもの。因みにアメリカの憲法は修正条項が次々に追加されて、現在は「修正27」まであります。有名な「修正1」は信教の自由。

    もっとも、大事なのは俎上に上がる案件の十分な審議ですが、その前に「改正アレルギー」だけは治療しておかないといけないような気がします。

    Mark W. Waterman, Ph.D.

  2. UBSGW said, on 2006年11月4日 at 10:21

    > Dr. Waterman
    コメント有り難うございます

    もし、当時の日本人が無邪気に新憲法制定を喜んでいただけ、だとするならば、その後の日本の道行きはいかにも納得できます。その場しのぎの右往左往、犬も歩けば棒に当たる、発車間際のバスに乗り遅れるな・・・。

    Dr.Watermanの仰有る「改正アレルギー云々」とは、大事なことを(い些細な事でもそうでしょうが)「話し合い」、「結論を得る」際にはまず当事者が「解決しようという意思を持つ」ことが必要だという意味だと理解しました。その意味であれば全く同感です。

    私の懸念は、現状が”改正アレルギー”と同様、”普通の国コンプレックス””北朝鮮アレルギー”なぞもまた治療の必要があるという状況だというところにあります。
    残念ながら日本の現状は、とても冷静に未来を見据えて憲法を改正できるような雰囲気ではないと私は認識しております。

    アメリカほか諸外国がどうであれ、学者・評論家らが何と云おうと「それは、それ」として、憲法改正問題は、日本人ひとりひとりが真剣に考える事を求められる問題であろうと思っています。なにせ子や孫の世代に影響しますから。

  3. Dr. Waterman said, on 2006年11月4日 at 15:30

    おっしゃる通りです。後々を含む問題です。

    日本の投票権はありませんが、血筋が日本なのでいつも気にしています。(もっともLAの人間は、血筋が6つも8つもあって、何がなんだか分からない雑種人が多いのですが。)日本をよろしくお願いします。

    MWW

  4. UBSGW said, on 2006年11月4日 at 17:37

    Dr. Watermanもとうにご承知のことと思いますが、ここ最近の日本では、教育基本法や憲法の改正問題、核保有論議などが次々に議論の俎上にのぼってきていますが、私にはどうも拙速だとしか見えないことが多いのです。

    しかし、私自身、(世間の片隅とはいえ一応は日本という)「渦中」にあるがゆえの盲目に陥っていやしないのか、と思うことがあります。

    実際のところ、Dr. Watermanのコメントを拝読しつつふと、憲法改正を考える平均的「日本人」の視界からは、日本に住む永住外国人のことはすっかり抜け落ちているであろうといことに思い至りました。

    Dr. Watermanには、今後とも一段高い、見晴しの良い視点からのご指摘などを頂ければ幸甚に存じます。

  5. 小池直行 said, on 2006年11月5日 at 12:40

    祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響き有り


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