求道blog

村上春樹『やがて哀しき外国語』

Posted in 日本文学一般 by UBSGW on 2006年11月9日

読了。

これも淡々と読み終わりました・・・。

村上春樹の文章のあまりに淡々としたところが、以前の私にとってはさほど心地の良いものではなかったのですが、最近読んでみてちょっとだけ印象が変わりました。もちろん変わったのは私自身なのでしょうけれど。

「ああ、このひと、すごくマイペースなひとなんだ」というのが文章に滲み出ているような気がしました。(実際のところどうなのかは知る由もありませんが・・・。少なくともご本人自身どこかでそう書いておられましたね。)

どこまでも淡々タンタンたんたん・・・。で、ときどきサラっと(じつは)鋭いことを言っている。友達の中に一人はこういう男が居るもんですよねー。

長く日本を離れていていちばん強く実感するのは、自分がいなくても世の中は何の支障もなく円滑に進行して行くのだなということである。・・・考えてみればこれは自明の理で、人間が一人増えたり減ったりしたぐらいで世の中が混乱していたら、世の中が幾つあったって足りない。しかし日本で生活して、自分の役割のようなものに毎日忙しく追われていると、そういう自分の無用性のようなものについてじっくりと深く考え込んでいるような暇がないのも確かである。・・・外国に長く出るというのは社会的消滅の先取り=疑似体験であると言ってもいいような気がする。

日本にいるときにかいつも感じさせられた様々な種類のややこしい煩わしさよりは、・・・ぎりぎりの個人という資格の上に降りかかってくる直接的な「きつさ」の方が、僕にはまだリーズナブルなものであるように思える

「僕らがこうして自明だと思っているこれらのものは、本当に僕らにとって自明のものなのだろうか」と。でももちろんそういうぼくの考え方は適切なものではないだろう。だって自明性についての問い掛けがあるということ自体が、自明性の欠如をはっきりと示唆しているわけだから。

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