求道blog

ユング『心理学的類型Ⅱ』

Posted in 人間心理 by UBSGW on 2006年11月12日

読了(ただ最後はちょっと斜め読み状態)。
※中盤は語句の定義集、終盤は本の叩き台になった論文(講演録)です。

性格類型について知りたいだけならば、この本ほど重厚なものを読むのは時間と費用の点からしてコストパフォーマンスは極めて低いです。もっと手軽にユングの性格論をまとめた本はいくらでもありますし。この本の価値は性格論そのものとは別のところにあるという気がします。(私にとっては。)

多くの思想家が述べる如く、一人の人間がどれほど客観的・中立的であろうとしてもそれは不可能事だ、と言うところはユングもまた同様です。せめて出来ることはといえば限定的でしかない自分自身の認識能力を意識しておくぐらいのことしか、神ではない我々には不可能である、と。そのことを自覚しておけ、と。いろんな偉人・達人たちは結局のところ同じ事を言ってるなぁ、などと思います。(などと言ってもあくまで私が知る限りで、ですけれど。)

話変わって
ここ数日、いろいろと考えつつ頭の中が渾沌としてます。何が出てくるのか楽しみではあるけれど、いささか辛い・・・。出てくるものは大抵どこかで聞いたような話ということが多いし。

考えてみればここ数年、自分が「ガラっ」と変わる体験をしていない気がします。自分を取り巻く状況のほうは「ガラガラっ」と変わりましたが。それでもここ数ヶ月、取っかかりらしきものが(ときには不本意ながらも)ドンドン手許に転がり込んでくるというのは、どうしてだろうか・・・。

何かを知ること、それ自体には大して感慨を覚えない。
何かを知った上で、自分自身が如何に変化するか。
そこのところが問題です。

しかし、まぁこんな、自分以外の人には何の興味も湧かないようなことをここに書き付けてるのは何の故か・・・。不可解といえば不可解。

人間は自分の立場以外の立場を理解したり承認したりすることはほとんどできない。比較的些細な事柄であれば、世間一般の浅薄さ、かならずしもたびたび見られるとは限らない思いやりや寛容、そして稀にみられる好意といったものが相互無理解の深淵に橋をかけわたす一助ともなる。しかし比較的重要な事柄、とりわけ類型の理想が問題になるような事柄では、相互理解などほとんど不可能事に属するものと思われる。・・・考え方の争いを調停する基盤となるものは、私の確信するところでは態度の諸類型を承認することであろうが、それは単にそうした諸類型の存在を承認するばかりでなく、誰しも他人の立場を完全に理解することができないくらいに自分の類型にとらわれているものだという事実をも承認するものでなければならない。

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コメント / トラックバック2件

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  1. Dr. Waterman said, on 2006年11月13日 at 23:09

    >しかし、まぁこんな、自分以外の人には何の興味も湧かないようなことをここに書き付けてるのは何の故か・・・。不可解。

    もともとブロッグが日記なら、始まりは自分のことであるし、読みたい人が読むわけだから、まず読者を気にすることはない。問題は、最後の「不可解」なのでしょうが、求道子のお答えのほかにもいろいろあるでしょう。

    極端な話、頭のおかしい人の繰言を、単に無駄話、他人には理解できない狂人の不合理な話と思って聞く態度か、一見不可解な話の中に何らかの真実が入っているかもしれないと思って聞く態度かで大きな差があるような気がします。自分自身が書いたことでも、別の機会に読み直してみると思いがけない発見があるように。問題は予断をもって決めつけて読んだり聞いたりしないことでしょう。せっかくの宝を探し損ねるので、いつも何かあるはずと思って読んでいます。

    「バカの壁」なども、コミュニケーションの不可能性を説いたのではなく、壁を意識しての対話の努力を説いたと思っています。内向の人は、内向の人なりの表現のスタイルがあります。会話になるとぎこちなくても、独白させたら意外と多弁。そのことを知っている人は少なくないはずです。第一、ただ黙って人の話を聞いてばかりいる薄気味悪い人より、熱心に「自分を語る」人が好ましいとは思いませんか。

    面白く読ませていただいていますが、私が一番好きな部分は、求道子がご自分のことを語っていらっしゃる部分です。これからも楽しみです。

    MWW

  2. UBSGW said, on 2006年11月14日 at 17:23

    ドクトル、こんばんは。

    「自分を語る」
    同感です。

    『バカの壁』については私も同じ意見です。
    あの本があれだけ人口に膾炙したにもかかわらず、政治家もマスコミも「聞く耳を持たない」「批評性に欠けた」人々が目につくのはどういうわけなんでしょう。

    今の日本、本来の意味での言論の自由があるのか時々疑問を感じます。空気がどうも・・・濁ってるような気が・・・。

    その点、米国の中間選挙結果などを聞くと「米国の方がまだまだ健全だなぁ」などと感じます。実際にその空気の中に住んでいる人にはどのように感じられているのか興味のあるところです。


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