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ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』

Posted in 歴史カテゴリ by UBSGW on 2006年11月17日

以前どこかで阿川弘之氏が絶賛していたかに記憶する ((阿川が絶贊していたのはジョン・ダワーではなくてジェームズ・アワーでした。訂正。)) ダワー『敗北を抱きしめて』(原著の発行は1999年)。ようやく読みました。敗戦以後の昭和史を総括したアメリカ人歴史学者の大作。日本の戦後史の基調音がはっきりと聞こえてくる気がしました。以下、しばらく私なりの戦後史観を述べます(とくに憲法改正と在日米軍再編に関して)。


対米従属と憲法改正の整合性

敗戦から今日に至るまで日本の政治はどこまでも一貫した路線を歩んできている。それはアメリカへの従属、この一言に尽きる。いま、「普通の国」になるため(らしい)第9条改正が問題になってもなぜか在日米軍の完全撤退は問題にもされない(在日米軍問題はあくまでも再編成にとどまる)。しかもこの問題に関してはアメリカ対日本政府という構図よりもむしろアメリカ+日本政府対沖縄県(若しくはその他自治体)の対立が目立つばかり。
それはなぜか。日本政府にとっては(もちろんアメリカ政府にとっても)在日米軍の完全撤退・基地撤去など最初から思慮の外であるからだろう。

しかしむしろ現在の9条改正論は「普通の国」になるためではなく、むしろ米軍との一体化を完成させることこそがその眼目だと考える方がすっきり納得できる。警察予備隊誕生のその日からミニ米軍として組織された現在の自衛隊。アメリカ空軍をモデルとした航空自衛隊は言うに及ばず、かつてアジア最大の軍事力を誇った帝国陸海軍の伝統につらなるはずの海上・陸上自衛隊に至るまでその組織・運用はすべて米軍型。旧軍の名残と言えば「金曜カレー」が如き生活習慣くらいのものだ。問題の焦点は、9条による制約のために戦場では米軍の下働きしかできないこと(というよりそもそも”戦場”で活動できない)。9条改正によって文字通りの戦力と認知され武力行使が可能となった上に集団的自衛権も認められれば、自衛隊は方面軍として米軍と完全に一体となった行動が可能となる。

平和維持活動の充実?そんなのは畢竟副次的なものにすぎない。武器使用の制限などは国内法の問題にすぎない。その気があるなら憲法改正など不要。法律の改正で間に合う。なぜなら一歩日本から外に出れば自衛隊はどこの国から見ても既に立派な軍隊なのだから。マッチョな男が制服を着て武器を抱えていつでも戦闘開始できるナリでいながら、「ぼく武器つかいたくないんだよねぇ」などと言っているだけだ。結局、武力を行使する気があるないかにかかわらず自衛隊はまぎれもない軍事組織である。海外で自衛隊を”自衛隊(Self Defence Force)”と呼んでくれるのは事情を知っている彼の国の軍人さんだけであろう。一般人なら「要するに軍隊でしょ」でおしまい。すでに軍隊である以上、日本人以外の人が見れば自衛官と自称する軍人が小銃をぶっ放そうがどうしようが何ら怪しむところはない。軍人が鉄砲撃つのは当然だから。したがって自衛隊による平和的国際貢献活動を充実させる為に自衛隊の憲法上の位置づけを明確にする必要性は薄い。結局のところ9条改正は、すでに完成間近の米軍・自衛隊一体化の総仕上げを意味するものなのである。

自衛隊・米軍の一体化の総仕上げ

ではアメリカが自衛隊を一体化する動機はなにか、またなぜもっと早い段階で一体化を完成させなかったのかという二つの問いが出て来よう。まず一体化の動機に関して言えば、一つにはアメリカに対する日本の無力化と中国に対するプレゼンスの強化が目的であると考えることはさほど突飛なことではなかろう。「すでに無力だ」「日本がアメリカに刃向かうなどあり得ない」と言う向きもあろうが、日本の忠誠心に頼るだけでなく、万一に備えて首根っこを押さえておくことはアメリカにとっては無駄ではなかろう。兵器も電子装備も通信手段もなにもかも、自衛隊に関するものすべてのマスターキーを握るアメリカ。そうして東アジアの東辺に位置する日本は、文字通り伸長著しい中国に対するアメリカの橋頭堡になるのである。

二つめの問いに関しては、アメリカが朝鮮戦争勃発の頃から首尾一貫して日本の再軍備、軍事力強化を主張してきたことを思い起こせばよい。私の知る限りではアメリカが日本の軍事力強化に懸念を示したことは戦後一度もなかった。中曽根政権が日本の不沈空母化に言及した際にアメリカがどう反応したか、湾岸戦争の際に自衛隊派遣を渋る日本をどれほどコケにしたか。アメリカは日本の軍事力強化を望みこそすれ、決して警戒などしなかった。私の考えるところでは、戦争を経験した世代にみられる軍隊とそれに類するものに対する根強い嫌悪感と冷戦構造がアメリカに自制を強いていたのである。現に、典型的反共保守政治家であるはずの吉田茂は、再軍備を要求する目的でアメリカ国務省の高官が来日するにあたっては、反戦デモをやってみせるよう密かに社会党の有力者に依頼したとされる。戦争を知らない世代が国家の中枢に登り詰めた今、日本がアメリカに与えられたかねてからの宿題をようやく完成させる時機が到来したのである。

節操しらずとアメリカの軛

そもそもアメリカは日本を対等なパートナーだとは毛頭考えていない(と私は思う)。解任されたマッカーサーが帰国したのち議会で「日本は12歳の子ども」と(ダワーによれば好意的に)述べたことは旧聞に属するが、その前後の日本人のマッカーサーに対する言動は、戦後の日米関係の本質を浮き彫りにする。中国政策をめぐって対立したトルーマン大統領によって突如解任されたマッカーサーがその離日にあたって、日本の人々やマスコミ、政府、自治体、天皇がどれほど彼の離日を惜しんだことか。マッカーサーの帰国を惜しむ20万人とも言われる人々が沿道を埋め、朝日新聞をはじめとする主要マスコミがマッカーサーの業績を讃美し、東京都は名誉都民の称号授与を検討すると述べ、天皇ですら、すでに無冠の人となったマッカーサーを訪問することに難色を示した側近の忠告を無視してまで自らマッカーサーのもとに訪れて別れを告げたという。敗戦国日本の人々は国民総出で占領軍の総司令官との別れに涙した。ところが帰国したマッカーサーの「日本人は12歳」発言を知った日本人は「裏切られた」と感じたようである。マッカーサー熱は一気に冷め、東京都は名誉都民授与を白紙撤回したのだそうである。文字通りマッカーサーは老兵として第一線からだけでなく日本人の心からも消え去った。いま果たしてイラクの人々は、アメリカ中央軍のアビザイド司令官が離任するとなったときどのような反応を示すだろうか。日本人がマッカーサーに示したほどの好意をみせるだろうか。私には想像がつかない。イラクと日本を一緒にするな、という声が聞こえてきそうだが、日本進駐にあたったときのアメリカ軍の警戒心はイラク侵攻の時のそれと大差はなかったものと思われる。敗戦必至の情勢にもかかわらず繰り返された日本軍の特攻作戦はアメリカ軍が史上初めて経験した自爆攻撃であったという。(その効果はともかくとして)最期まで頑強な抵抗を見せた日本人が、進駐するアメリカ軍にあくまでも抵抗するという予測は決して荒唐無稽なこととは考えられなかったはずである。

イラクの場合は正規軍のあっけない敗北の後に頑強なゲリラ的抵抗と自爆テロ(kamikaze attack)がいまもつづいている。当時の日本はその逆であった。神風攻撃のあとにやってきたのはあっけない敗北であった。アメリカ軍は驚くほどの平穏さを進駐した日本の地に見出した。虚脱した日本人たちは(心理的抵抗はともかくとして)何らの抵抗も見せずにアメリカ軍を受け入れ、目端の利く連中は証拠隠滅と貯蔵物資の横領・隠匿に忙しかったという。そして抵抗を覚悟して警戒していたアメリカ軍を唖然とさせたのは、日本人のあきれるほどの節操のなさ ((こうした”卑怯な日本人”の姿は阿川弘之氏の著作にも描かれています。)) であったのだ。

マッカーサー最高司令官とその指揮下にあるGHQスタッフに送られた手紙、ハガキ、陳情書には・・・特定の個人を戦争犯罪人として逮捕・追放し、裁判にかけるべきだとして、名指しで告発するものがあった。
また戦争中に権力を笠にきて威圧的な言動をしていた役人を、地域の住人が告発する手紙もあった。高校生や大学生たちは、軍国主義に加担した教員を指摘した。旧帝国軍人のなかには、戦争中に連合軍の捕虜に虐待を行った日本人兵士の名前を告発する者もいた。いくつかの宗派などの組織が、戦争中に超国家主義の「旗ふり役」をしていたことも指摘された。
他人を告発する動きは広がりを見せ、過去の問題にとどまらず現在のできごとにも向けられていった。・・・「反アメリカ的」な感情をもったり、「反民主主義的」な考えを抱いていた人々も告発された。このような情け容赦のない告発文書が、マッカーサーやGHQのもとに送られてきたのである。こうした事実だけを見るかぎり、きのうまで愛国主義者だった日本人は、一夜にして占領軍への密告者、あるいは情報提供者に変貌してしまったようにもみえる。その他にも、日本はアメリカの属国になるか、あるいは永久にアメリカの植民地になるべきだと主張するような、驚くべき手紙も存在した。もしそうならなければ、日本の民主改革は、やがて元の木阿弥になってしまうだろうと、明言するものもあった。
・・・占領軍で手紙の翻訳にかかわった沖縄出身の日系アメリカ人は、このような告発の手紙を読んでいるうちに、自分は日本人を軽蔑するようになってしまったと袖井教授に語っている。日本人とは、風向きに応じて方向を変える風見鶏のようだ—多くの人々がそのように感じていた。
上292

とまあ、読み進むうちに近年の様々な問題について「あぁそういうことか」と腑に落ちるところがあちこちにありました。それと戦後の日本がいかにアメリカの意向次第で右往左往してきたのかについても。まさにタタールの軛ならぬ”アメリカの軛”が見えてきます。この本ではその大半を敗戦の日から講和条約成立までの記述に費やし、エピローグで若干その後のことに触れています。感銘を受けたという点では今年私が読んだ本のうちの筆頭に挙げる著作です。

戦後からの脱却が呼号される今、賛否どちらの立場に立つにせよ、戦後史の見取り図を端的に示してくれるこのような著作は必読文献と言っていいと私は思います(私が感銘を受けた本は基本的にすべて”必読文献”になります。あくまでも「私にとっては」ですが。てかもう読んだんだけど・・・)。ほかにも興味深い記述が満載されていますが、ここでは到底書き尽くせません。

一例を挙げれば隠匿物資が問題となって調査委員会 の副委員長を務めたものの、のちに自らが隠匿に関わっていたとして辞職した国会議員 隠退蔵物資等処理委員会 ((「隠退蔵物資等処理委員会」は閣議決定にもとづき昭和22年2月経済安定本部(通産省の前身)内に設置。委員長石橋湛山、副委員長世耕弘一。設置にあたっては既に非公式に隠退蔵物資の摘発に当たっていた世耕の意向が働いていたとされる。世耕自身が隠退蔵に関与したとの疑惑が生じてて2ヶ月後に解職となり、隠退蔵問題に関しては同年7月から国会内に設置された「隠退蔵物資等に関する特別委員会」が調査にあたることになった。(以上帝国議会及び国会議事録より)))の副委員長(内務政務次官)として隠退蔵物資の調査を手掛けたのが今の世耕弘成内閣広報官(?でしたっけ)首相補佐官である祖父世耕弘一なのだそうで。もちろん岸信介に関する記述も出てきます。ずばり「悪辣な」「右翼」と書かれていますが。

ちなみに、本土決戦に備えて備蓄されていた莫大な貴金属・軍需物資が隠匿・退蔵されたことが戦後の急激なインフレや産業復興の停滞など日本経済の動向に大きな影響を与えたというのがダワーの見解です。

自由と規律

話は変わって、ダワーのこの著作には現在の教育問題に関しても多くの示唆を与えてくれます。

典型的な小学校教科書であった『少年少女のための民主読本』は・・・自由は尊重されるべきであるが、同時にそれは自己本位とは区別されねばならず、責任をともなった上で行使されなければならないとも教えている。
民主主義の中心的概念である平等についても、それは「同じであること」と混同されてはならないのであって、機会の平等の意味なのだとされていた。
・・・概して、敗戦が教師に与えた衝撃は、容易に乗り越えられないほどのものであった。降伏の瞬間まで彼らは天皇制の正統性を教え込む教練軍人のようなものであった。それが一夜にして、それまでとは異なった考え方をしなければならなくなったばかりでなく、以前と同じような熱意を持って、新しい正統教義を教えるよう命じられたのである。

当然のことながらじつにさまざまな対応が現われた。ある者は皮肉まじりの自己嘲笑的な態度でもって、新しい教材や、教員と生徒の間の民主的なギブ・アンド・テイクの関係について生徒に話しかけた。当時中学生だったある人物は、その頃のことを思い出しながら次のように語っている。自分の中学校の先生が教室で「さて今日は何の勉強をしようか?」と尋ね、すぐ次のように言った、「今は民主主義の世の中だからまず君たちの意見を聞かなくてはならないんだよ」。 

上317~318

60年も前から頭では分かっていたのですよ。日本人は。ただ行動がそれに伴わなかった。従って私は、いまさら教育基本法を改正すれば何かが改善されるというようなものではないと思うのです。だって頭ではとっくに分かっていることを実行できないところが問題なのですから。強いて言えば改正を唱える人々が(というより我々自身が)自由と規律を体現して見せることの方がよほど教育的ではないのでしょうか。

法と現実

法の改廃が必ずしも実質的な変化をもたらさないこともあり、場合によってはそれまで以上に(世の人びとにとっては)状況が悪化することすらあり得るということが以下の例からも読み取れはしないでしょうか。規制緩和・・・。ゆるくなったからって喜ぶべきかどうかは別問題、というところでしょうか。今に生きる私たちにも思い当たるところが幾つもありそうです。

(事前検閲から事後検閲への変更について)この公式な規制緩和を誤解してはならない。(中略)検閲はより厳しく、恣意的で、予測不可能になっていった。とくに印刷媒体については、さらに隠微で陰険になった。出版社、編集者、作家の多くは、検閲が事前から事後になったことで自由になったと感じるどころか、それまで以上の恐怖を感じた。すでに発行されている新聞なり、雑誌、書籍が占領当局に不許可と判断され、回収を命じられた場合、その経済的打撃は痛烈だったからである。経済的不安感があるとき、検閲が曖昧で恣意的であることはSCAPの目的にとくに都合よく作用した。すでに市場に出した商品が検閲にひっかかる危険を敢えて冒せる出版事業者などほとんどいなかったからである。その結果、占領が進むにつれて、用心と自己検閲はますますあからさまになった。 

下P217-218
追記)
世耕弘一に関してこの著作とは関係のない記述(他のデータソースからのもの)をこの著作の内容であるかのように書いておりました。お詫びして訂正します。
(ダワーの著作のなかで世耕弘一と隠退蔵物資に触れられている箇所は上巻P127ー128です)。また孫の方の世耕さんは広報官ではなくで補佐官の誤りでした。

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〔原題〕john W.dower EMBRACING DEFEAT japan in the Wake of World War Ⅱp

(2007年4月7日一部改稿)
(2010年5月5日一部をフットノートに移動)

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