求道blog

ニーチェ『悲劇の誕生』

Posted in 書籍一般 by UBSGW on 2006年11月26日

終日ニーチェを読む。

ことによると—-と彼(ソクラテス)は自問せざるをえなかった—-私には理解できないからといって、それがただちに不合理なものだとは一概には言えないのではないか?ことによると、論理家を追放しているような英知の国がどこかにあるのではないか?ことによると、芸術とは、科学にとってなくてはならぬ相関物、なくてはならぬ補充物ではあるまいか?

ニーチェ著 西尾幹二訳『悲劇の誕生』中公クラシックス 2004

合間にチェックした「内田樹の研究室」も。

自分がいかに迫害され、疎外されてきたか、親により学校により社会により、能力の開発を阻まれ、健全な成長の機会を奪われてきたか、その結果自分がいかに無知で非倫理的で、社会的に無能な人間になったかを人々は「競って」ショウ・オフするようになった

合理性(経済的合理性、合理的判断・思考、合理的子育て・・・)を最も確かな判断基準だと錯覚しつつ、実はわれわれはいたって”合理的に”不合理の世界へ落込みつつあるのではなかろうか。

仮にもしそうだとして、それを私は悲劇だとして悲痛な口調で述べたいとは思わない。悲劇を悲劇として観ずることの出来るのは、悲劇の当事者ではなく傍観者(観客)だけだと私は思う。もし仮に自らを悲劇の主人公と考えるような奴輩がいたとすると、彼はむしろそのことによって喜劇の主人公となるだけだろう。

べつに人生が悲劇でも喜劇でもどうでもよいけれど、私はそれを一種の喜劇として呵々大笑してやりたい(私自身も含めて)。なぜならわれわれは、足を伸ばせば立ち上がることの出来る浅瀬でジタバタしているだけのような気がするからだ。

ついでにいえば、人間の人生は喜劇でしかあり得ないからこそ、バランスを取るために(何のバランスか知らないけど)フィクションとしての(慰み物としての)”悲劇”が必要な気もする。
そんなことを考えつつ『悲劇の誕生』読んでいます。

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