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「防衛省法案」衆議院通過~その1

Posted in 政治 by UBSGW on 2006年12月1日

教育基本法につづいて防衛省法案もあっけなく衆議院を通過。

シビリアンコントロール確保の観点から、自衛隊の最高指揮官は引き続き首相が務める

産経新聞記事
だそうですが、今の日本の状況は、文民統制(シビリアンコントロール)が確保されるから問題ないなどとは簡単には言えないような気がします。

wikipedia日本語版によれば文民統制とは

文民である政治家が国家戦略を担い、軍部による不当な干渉を排することである。国家戦略の軍事戦略に対する優越を中心とする

ということになっています。

ここで暗黙の前提となっているのは、軍人は暴走しがちだが文民は戦争(軍事力の行使)をしたがらない(乃至消極的である)ということである。
過去を顧みれば、軍事国家プロイセンあるいは軍部大臣現役武官制に象徴される日本軍部の専横などのように軍人が政治に介入し国家を破滅に導くという先例が確かにある。
そうした先例に鑑み、文民(シビリアン)こそが軍隊を統御すべきであり、そこでいう「文民」とは選挙によって民主的に選出された国会及びこれに責任を負う政府であって、これが軍隊・軍人の行動をコントロールすべきだとされたのである。

ここで考えておく必要があるのは、文民が必ずしも軍事力の行使に消極的ではないケースもあり得るということである(自分自身が銃弾に命を曝すことのない文民だからこそ戦争になってもまあいいやと考える、そういうことも考えられないではない)。日本の現状に即して言えば、今の日本において軍事力の増強、軍隊(自衛隊)の海外派兵に最も積極的なのは一体誰だろうか、ということを考えておくべきではないか、ということなのだ。イラク派兵にせよ核武装論議あるいは集団的自衛権の行使にせよこれらに最も積極的だと思われるのは、”文民”たる政治家(の一部)である(しかも驚くことには彼らが政権の中枢に位置している)。

文民統制が確保されているんだからOK!なのではない。「軍事力の行使に消極的な者」が軍隊を統御可能な権限を与えられているか否かが問題なのである。文民が軍事力の行使に積極的である場合、「文民統制」は本来の意味を失う。果たして国会の論戦(そんなものがなされたのかどうか知らないが)において文民統制の本質が顧慮されたのだろうか。私は甚だ疑問である。

管見ではあるが、いまのところ自衛官たちは力を恃んで暴走してしまうほど自らを過信してはいないように見える。(ついこのあいだまで「税金ドロボー」「張り子のトラ」などと鬼っ子扱いされてきた彼らにすれば、国民が自衛隊を認知してくれることを喜びはするかも知れないが、いきなり「んじゃ、ひとつ戦争でもやるべえか!」なんて調子づくとは私には思えない)

問題は、「そういえば昔は防衛庁なんてのがあったんだってさ」などという2世、3世が登場し始めたときにどうなるか、なのだ。

戦争を知らない世代が多数派となったとき、平和主義は抵抗する間もなく過去のものとなった(ように私には見える)。そして自衛隊がかつて日陰者呼ばわりされたことを知らない世代が多数派となったとき、日本にどういう変化が生じてくるのか。

(つづく)

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