求道blog

住基ネット訴訟の高裁判事自殺(?)

Posted in 警察・司法 by UBSGW on 2006年12月4日

夜のNHKニュースで「大阪高裁判事」「自殺」とそこまで耳にしたところで、咄嗟に先日の住基ネット訴訟との関連が頭に浮びました。恐らくこのニュースを耳にした多くの方が同じ思いを抱かれたのではないだろうかと思います。

住基ネット訴訟判決( 産経新聞
同判決要旨( 山陽新聞

「自殺と見られる」が「遺書は見つかっていない」とのこと。
今の段階で何を語っても臆測になるばかりですので多くを語ることはしたくありませんが、なんとはなし暗然とした気分にさせられます。
もし仮に先日の判決と今回の自殺とに何らの関連もないと言われたとしても、何だか釈然としないものが残りそうです。

歴史的資料を豊富に手にして今を生きる私たちが過去の歴史を学ぶにあたって、往々にして見落とす一事があります。それは私たち自身が幾ら望んだところで、自分たちの生きる時代と世界を極めて近視眼的ないし一面的にしか把握できない(把握することが構造的に不可能である)のと同様に、過去の歴史を生きた人びともまた彼らが生きている時代を俯瞰的に把握することが不可能であったという事実です。

特に、時代と共に人類が進歩している(はずだ)という感覚と結びついた直線的な時間感覚をもってすると、ともすれば災厄や失敗や陰謀を見抜けなかったのは過去の人びとの無知や無自覚が原因だと(なかば無意識のうちにでも)考えてしまうことはなきにしもあらずなのではないでしょうか。

それでも、かつて満州某重大事件や大杉栄の暗殺などの出来事に(間接的に)接した人びとが、「なんだかおかしい」「奇妙だ」という漠然とした感覚を持たなかったわけではなかったのではなかろうかと私は思っています。現に報道統制された出来事に関しても僅かな情報をもとに(現代から見れば)適確な見通しを持ち得た人びとが(少数ながら)いたことは様々な人々の公刊日記などから読み取ることが出来ます。そしてまた意外なほど多くの市井の人々が何だかよく分からないまでも漠然とした不安、というか胡散臭さを感じていたといいます。

もちろん今回の自殺という出来事がやれ陰謀だ、暗殺だというものではありません(全く分かりません、私には)。

ただ、私が今回の自殺報道に接して思いを新たにしたのは、いつの時代でも、ある時代に生きている”現代人”は常に自分が時代の最先端を生きているという実感と裏腹なものとして、過去(の人々)に対する優越感(おれは知ってるぞ、分かってるぞ、どうしてあなたたちは気づかなかったの??という感覚)を意識的にせよ無意識的にせよ持っているのかもしれない、ということでした。

自分のことは自分が一番よく分かっている?
果たしてそうだろうか。

あまり多くを語ると臆測めいたはなしになりそうなのでこの記事はこのへんで。

亡くなられた判事のご冥福を祈ります。

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