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C・G・ユング『創造する無意識』

Posted in 人間心理 by UBSGW on 2006年12月4日

読了。

心理学者はつねに、自説がまず何よりも自分自身の主観に含まれるものの表出であり、したがってそのまま一般に妥当するかのように言い立ててはならないことを銘記しなければならない。

個人をはるかに超出して、人類全体の精神と魂から、人類全体の精神と魂になり変わって語るところに芸術本来の面目はある。個人的なものは芸術にとっては制約であり重荷でしかない。

そもそも他人の言い分を認めてやる能力が人間にはいかに欠けているかは、見ていて驚くほかない。そのくせこの能力こそ、どんな人間社会にあっても欠くことのできない根本条件なのである。

この一般に見られるむずかしさを、自分自身との対決をもくろむ人はよくよく考慮に入れておかねばならない。他人の言い分を認めないその分だけ、自分の内なる「他者」にも存在権を認めないことになるのであり、その逆もまた正しい。内なる対話の能力は、外での客観性の尺度である。

超越機能は、対立物の接近という特性をもって現れる。両者が互いに距離を保っている限りは——もちろん葛藤を避けるために——両者の間に超越機能は働かず、死んだような静止状態があるのみである

文芸と創造性に関するユングの著作。

個性とは何か?創造性とは?

考えるところの多い良書です。
心理学者に限らず、人間として自分の抱える限界性については自覚的でありたいと思わずにはいられませんでした。

「象徴」の捉え方に関するフロイトとユングとの違いが、ユング自身の言葉で非常に分かり易く説明されていたのも印象的です。その部分を読みながら私が考えたことはといえば、人間の心理に関して世間ではフロイト的な(還元主義的な)考え方が根強いなあ、ということでした。もちろん、それはフロイト思想の影響と言うよりはむしろもっと大きなパラダイムが関係していると思いますが(もしプラトンの「洞窟の比喩」をフロイト流に解釈したらプラトンは単なる異常性欲者だと判定されるやもしれない、というユングの説明はなかなか面白かったです)。

話はかわって知的財産権について。
知的コンテンツに限ったハナシではありませんが、あれもこれもそれもどれも、あらゆる方面で「権利」の主張が当然のように為される風潮に時々ですが違和感を覚えることがあります。

以下、訳者あとがきより引用

今日のジャンボ・ジェット機を見て、ライト兄弟以外の個性を想起しないのは、飛行機発達史に関する私たちの無知のせいというよりも、これらを成り立たせている大小無数の発明が、誰が先鞭をつけても不思議のないものだったからである。ここで競われたのは先着権、プライオリティであって、独創性、オリジナリティではない。・・・無名性は近代科学の担い手たちの、むしろ自覚し自負するところでさえあった。工房で手仕事に従事する高級職人であった彼らは、自分の発案を後進の誰でもの有用と利益のために、つまりはもっぱら公益と当該技術の進歩のために、ためらうことなく公開したのである。

引用ばかりになってしまいましたが・・・。
これにて。
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