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ハインペル『人間とその現在』

Posted in 歴史カテゴリ by UBSGW on 2006年12月16日

アメリカの覇権政策、日本の保守(?)化・・・。そうした世界の片隅で読む半世紀前に書かれたドイツ史家ヘルマン・ハインペルの著作、『人間とその現在』。一歴史家である著者自身ががその根底にもっている自身の歴史意識・時間意識を掘り下げてゆくところからこの本は始まっている。このあたりはお弟子筋の訳者阿部謹也 ((阿部謹也「ヘルマン・ハインペルの歴史研究 : 戦後の西ドイツとヒストリスムスに関する覚書(1)」 「同 (2)」)) と共通している。
翻って現代の日本、中身の見えない”歴史と伝統の尊重”が声高に叫ばれている。この本を読みつつ、私は、もしハインペルや阿部謹也が存命であったら果たして何と言うであろうか、などと考えること頻りであった。「あった」「いや、なかった」・・・、そんな次元の(「ある」「ない」「あれか」「これか」という単層的な)”歴史認識”論争なぞは、歴史論争というよりはむしろ只のイデオロギー論争ではなかろうか、と思わずにはいられない。そして、「戦後体制からの脱却」とやらいう政治的スローガンもまた皮相的であるとの批判を免れない。

ハインペルは次のように言う。

ひとつの時代の切れ目を見出す者は、同時にその時代の本質を規定しているのである

ヘルマン・ハインペル『人間とその現在』未來社

いったい、戦後レジームの解体を叫ぶ彼らは、「戦後レジーム・戦後体制」を解体すべきか否かという以前に、そもそも彼ら自身が「戦後体制」というものをどのように捉えているのかをまともに説明したことがあるだろうか?少なくとも彼らがそうしたことを為したということを私は寡聞にして知らない。
そういえば、「昔は今よりもっと ○ ○ ○」、彼らのそういう言い回しなら飽きるほど聞いた(聞いている)のだけれど、もしその程度のことを”歴史”だと言うのなら、人類はおそらく過去数千年にわたって何の進歩も出来なかったということなのだろうと言うほか無い。 ((科学が発達した、とでも?仮にそうとしても、いったい何を以て”発達”と言えるのかは大いに疑問の沸くところであるし、或いは道具が複雑になるのが発達だというのなら確かに「科学は発達した」、と、その通りかもしれないが。))

そうした疑問にとらわれている私は、ハインペルが発した50年前の言葉がそのまま現在にも通じていることに強い感銘を覚えた。

ルターは世界をつき離し、カルヴァンは世界を支配する・・・ルターとルター主義は・・・服従のパトスを醸成し・・・カルヴァンとカルヴィニズムは・・・自由のパトスを生み出している・・・ルターから道は・・・レアルポリティークの理念に向かった。イギリス・アメリカ[カルヴァン主義者たち※]においては近代の十字軍兵士、キリスト教の兵士が敵に立向かい、敵は戦争によって罰せられ、戦後に教育されなければならないことになっている。
※[  ]内は引用者注

同上

この本の訳者あとがきにて阿部は言う。

本書がはじめて紹介されてから二十年近くたってようやくハインペルのヨーロッパが私たちに近くなったのではないかと思う。

なお、本書の副題は「ヨーロッパの歴史意識」となっている。さて、対する日本の歴史意識とはいったいどのようなものなのだろうか。それに関して次に私見を述べてみるとする。
そうなのだ。
やはり、日本は柔軟な「木造家屋」なのだ。
数十年でなにもかもが「寿命」を迎える。
そして、そこでは憲法もただの耐久消費財である。

二度の敗戦を経て、敢えて自らに自国の歴史を再構築する責務を課したハインペル。彼の試みは結局挫折したのではないか、と阿部は言う。しかし驚くほど真摯に歴史に対峙するハインペルのような愚直さは、今の日本ではもっとも希少なものだという思いを新たにして私は本を閉じた。
改正教育基本法成立の日の夜更けに野人記す。

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以下に目次を記しておく。


第1章:人間とその現在
第2章:中世史の諸時期について
第3章:ヨーロッパとその中世的基礎
第4章:ヘルマン・フォン・ザルツァ=ひとつの国家の建設者
第5章:ドイツ中世後期の本質
第6章:ルターの世界史的意義
第7章:ドイツ史の構想
第8章:歴史と歴史学

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