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「エンド・オブ・オール・ウォーズ」を観る

Posted in 音楽・映画 by UBSGW on 2006年12月21日

デビット・L.カニンガム監督「エンド・オブ・オール・ウォーズ(原題:To End All Wars )」(2001年)を観る。公式サイトというものではないようだけれどTo End All Wars ~クワイ河収容所の奇蹟に詳しい。9・11テロの余波で劇場公開が見送られたという曰く付きの作品。憎悪の応酬の不毛さを端的に表現した作品ゆえ、公開が見送られたのもむべなるかな。

この作品は、日本軍の捕虜となった連合軍兵士の姿を通して、「愛と赦し」をもってしか憎しみの連鎖は止められないというメッセージを差し出す。作中のキャンベル少佐(ロバート・カーライル いい演技者だと思う)の言を借りれば、「愛」や「赦し」など甘ちゃんの戯言であり、軍人としては敵への愛など不正義だと言うことも出来ないわけではない。また、そうした道学者ふうのメッセージもその差し出し方によっては時に観る者をして辟易させることがあるけれども、この作品に関して言えば「愛」や「赦し」を直接的に語るのではなくむしろそれが要求する「受苦」「自己犠牲」に焦点をあてている点で品の良さを感じた。

カウボーイの恰好で自由や正義の体現者を気取るような恥知らずからはまず感ずることのない含羞と知性を随所から思い做して、さては監督はカウボーイの国のお人ではないのだろうと思いきや、さにあらず。カウボーイは皆お気楽ノーテンキだとの独断に陥りつつあった我が身を省みて冷汗三斗。監督はデビット・L.カニンガム (wikipedia)

キーファー・サザーランド演ずるアメリカ人捕虜ヤンカーの人物造形(目端は利くが自己中心的で金に汚いオポチュニスト)などは、ヨーロッパ人のアメリカに対する皮肉ではなく知的アメリカ人自身の自己省察であったか・・・。そう考え始めると、ある事件を契機にこのヤンカーが回心して犠牲的精神を体現していく姿は、まさにこの作品が発するアメリカに対する強いメッセージだったようにも思えてくる。

原作はアーネスト・ゴードン著『クワイ河収容所』。
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泰緬鉄道建設に従事した連合軍捕虜を題材にした映画と言えば(フランス人ピエール・ブール原作の)「戦場に架ける橋」を思い出す(内容忘れちゃったけどかなりエンターテイメント性が強かった気がする)が、「エンド・オブ・・」はかなりシリアスかつメッセージ性が強いという印象をもつ。

この映画は実話に基づくが、そのなかで重要な役割を演じるのがナガセ軍曹。戦争前にケンブリッジに留学していたとの設定で登場する通訳官。

最後に。やはり日本兵による捕虜虐待のシーンには、作りものとは承知しながらも複雑な感情が湧いてきました。捕虜の管理を統括するナガトモ中佐の登場シーンなんて、まるで「地獄の黙示録」に出てくる狂気のカーツ大佐を彷彿とさせます。土人(土着民)に曳かせた荷車(人力車)にナガトモ中佐がふんぞり返って坐る姿、デスクの上に置かれた馬鹿でかい徳利、執務中にもかかわらず着衣の乱れた将校・・・etcに、「おいおい、悪役とはいえそれはあまりにも・・・」と言いたくなったのは事実です。私が日本人でなければ決してそんな気持ちにならなかっただろうなぁ・・・。ま、その辺りのことについては稿を改めていずれ書こうと思います。

とはいえ決して恨みつらみや人種的蔑視などとは無縁です。一例を挙げれば、捕虜を苛酷に取り扱って彼らの恨みを買いまくり、捕虜解放後に復讐されて切腹する鬼軍曹イトウは、捕虜ばかりでなく職務上の失策をした日本人の部下をも厳しく遇する(フェアな)人物として描かれています。

追記)カニンガムが監督したABCテレビの番組「9.11への道」は何かと物議を醸したようですが、詳しくはまだ調べていません。今度探してみてみよう。

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