求道blog

内田樹ほか『9条どうでしょう』

Posted in 書籍一般 by UBSGW on 2007年1月10日

昨年末、杯を干しながらいちいち「うんうん、そうそう」と思いながら味読した一冊。

今なにかと話題にのぼる「憲法改正」について四人の著者がそれぞれの視角から語る。彼らに共通しているのはおそらくいい意味での「余裕」と「偏り」。

憲法改正大賛成!
憲法改悪絶対反対!

著者らはそのどちらにも与しない。
「バスに乗り遅れるな!」と足をもつれさせながら駆け出そうとする同輩に、「おいおい、あわてるこたぁねぇさ」と鷹揚に語りかけるだけである。しかしその鷹揚さは見かけ倒しではない。”自分の頭で考えるしたたかさ”とでも言えばよいのだろうか、(別の言い方をすれば)自らを「主体的」に非主体化しようとすることへの懐疑が背後に控える。

理想を高々と掲げることこそが、憲法の第一義的な役割なのである。(・・・)なるほど青臭い点についてはご指摘の通りだが、君たち政治家が実現すべきは、憲法が示した理想を現実化する仕事だ、という、それだけの話である。〔小田島隆「三十六計、九条に如かず」〕

憲法はリアルポリティクスに合わせた都合の良いルールというよりは、リアルポリティクスそのものにコミットメントする人間に規矩を充てるテキストでもあったはずだ

そんなことは現実的ではないという理由によって、あるいは、それが押しつけられたものであるという理由によって、憲法を改正しなくてはならないという。だとするならば、戦後六十年間の現実とはなんだったのか。(・・・)郵政民営化というよく分からない争点で争われた選挙に大勝した政府与党がここを先途とばかりに、改憲のキャンペーンを始めていることに違和感を持たざるを得ない。(・・・)もともと憲法は、現実の世界の変化を想定したうえで考えられていると思う。しかるに、「彼ら」は憲法を変えたいという。しかし、わたしは、「彼ら」には憲法を修正していただきたくないと思うのである。〔平川克美「普通の国の寂しい夢」〕

ここで述べられている考察はきわめて真っ当だと私は思う。
私自身、「憲法改正絶対反対」論者でもなければ「絶対賛成」論者でもない。そんな私でも「彼らには改憲していただきたくない」と思わざるを得ない。

もっとも「彼ら」自身、もし自らが改憲の真意を公言すれば誰もそれに同調しないであろうという確かな予測のもとに、敢えて真意を隠して綺麗事(一見綺麗に見える言辞)を並べているだけだということは自覚しているのかもしれない。もしそうなら彼らの暴挙を押しとどめることは国民の責務であろうし、また、もし「彼ら」が自らの真の欲望に気づいてすらいないとするならばやはりこれを察知するのも国民の責務であろうと思う。少なくとも私は改憲論者(非改憲論者)を罵倒する気はない。ただ、勢いに任せて突き進むような真似だけはしたくないと思う一国民である。

蛇足ながら
「わたしたちの戦後六十年はなんだったのか」を市井の生活の中から考察する平川氏の姿勢には強い共感を覚えました。
本の中でも紹介されている平川氏の憲法論はこちら(「ひとりになって憲法を考えてみる」)。

[amazon asin=’4620317608′ type=’banner’]

広告
Tagged with:

内田樹ほか『9条どうでしょう』 はコメントを受け付けていません。