求道blog

腐った素材とバラバラ殺人

Posted in 社会 by UBSGW on 2007年1月14日

私はテレビを見ない。
とくに理由らしい理由はないが(てか考えたことがない)。
テレビがないわけではない。一応居間に据えてある。でもほとんど見ない。家族がいるので食事時に時々「目に入る」のと、年間に数度ドキュメンタリや映画を観るくらいである。

ちょっとだけ見ない理由を考えてみる。
ひとつは、テレビを通じて入ってくる情報によって「なに!?そうか、そんな見方もあったのか」という体験をした記憶がないこと。「へぇ」「ふーん」「それで?」「いやいやもう結構ですよ」。そればっかり。時々、気になっているテーマについて「お、そういう本があるのか」「お、そういうサイトがあるのか」なんてことはあるけれど、テーマそのものについて目を見開かされるような情報に接したことはほとんどない。

もちろんそうだからといってテレビ独特のメリットを否定はしない。有用な場面もあるだろうから。
ただ、私はほとんどテレビを見ない人間だというだけのことである。
今のところ私にとってはテレビよりもあちこちのブログなどのほうが余程発想を刺激してくれる存在なのは間違いない。

この記事自体、折々読んでいるブログの一エントリを見て書きたくなったものの一つだ。
先日読んだ『9条どうでしょう』の著者の一人、小田島隆氏のブログ「偉愚庵亭憮録」の「ファミリーズ」と題したエントリでバラバラ殺人が取り上げられている。

でも、肉食獣たる取材記者が血と鉄と毒を恐れないのはそれで良いとして、彼らが取材してきた結果を番組として流す段階では、もうひとつ別の判断基準があって然るべきなんではなかろうか。つまり、真相は真相として、公共性のない事実は、あえて庶民の食卓に供さないのがまっとうな放送業者としての態度……

テレビをほとんど見ない私にも、ここしばらくテレビから頻繁に「バラバラ殺人」の声が聞こえてきた。
昨日だったか一昨日だったか、NHKが加害者(妻)と被害者(夫)について双方の異性関係がどうとか家庭内暴力がどうとか報道していたのだが、それを偶々見た私はその内容よりもなによりも「それがどうしたのだ?」と思うほかなかった。事件そのものよりもその報道にこそゾッとするものを感じただけであった。小田嶋氏の一文を読んだことで、その「ゾッ」の理由の一つが少し明確な形で私の中に浮んできた(ので最初はコメント投稿させていただこうと思ったのだけれど長くなったのでこちらに書くことにしたのでした)。

「彼らが取材してきた結果を番組として流す段階では、もうひとつ別の判断基準があって然るべきなんではなかろうか」。この氏の一文に私は強く肯く者である。
株主利益だのコストパフォーマンスだのなんだのというのが錦の御旗になっているらしい社会においては、仕入れたネタ(原料)は全て有効に余すところなく活用しなければならないのだろう。無駄の排除、効率化・・・。おそらくジャーナリズムにおいてもそれは例外でないということなのだろう。そう(勝手に)解釈すれば納得はいく。
そういえば「バラバラ殺人」の隣には「消費期限切れ原料使用」の見出しが踊っている。
誰も好んで食べようとは思わない消費期限切れの素材、出来れば一生縁のないまま過ごしたい事件。どちらも「腐れた材料」とも言えよう。
腐った(腐りかけた)原料を使用してしまった食品会社はこれでもかとばかりに叩かれる一方で、それをリードする報道機関は腐れた材料をこれでもかとばかりに食卓に送り込む。皮肉な話だ。

おっと、時間が・・・
今日はこれにて(後で文章に手を入れるかもしれませんが一応これで)。

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