求道blog

(補足)富山冤罪報道へのツッコミ

Posted in 報道・ジャーナリズム by UBSGW on 2007年1月22日

一晩あけて昨日のエントリーを読み返す。
滑ってるね、筆が。どうも意を尽くせていない。酔っていたわけでもないのだが。
マスコミに辛く権力に甘い文にも読める気がする。そう読んで頂いてももちろん構わない。警察批判なんてわたしがやるまでもなくもっと気の利いた人たちがやってくれるのはわかってるので。

(前略)身内に甘い体質に批判が出ている。

<犯罪警官>警察の匿名発表相次ぐ…身内に甘い体質に批判
自分の言葉で語れない語らない「報道」の典型例。

自分の言葉は自分のものとして、他人の言葉は他人のものとして書けばよかろうに。「客観的らしき」言説、「中立を装った」記事は「主観的」「自分を出した」記事よりもよほど罪深い。たまには、「私は批判する!」とはっきり書いてみてはどうだろう。偏屈な私には上のような記事がなんだか「ね、ね、あの先生がね、言ってたよ~、ね、おかしいでしょ、みんなで批判しよ~よ、ね」みたいに読めてしまって具合が悪い。ま、もっともストレートに警察批判のできない記者の手になる精一杯の警察批判とよめなくもないわな・・・。

そういう私だって別段大した人間ではない。むしろ偏屈でネチネチしてて言ってることがまどろっこしくて言ってることがコロコロ変わる性格の悪い人間だ。言い訳させてもらえれば、日頃ここで書いているようなことを日常生活の場では吐き出すことがない、出来そうにないからこそこうして書くのだ。日頃喋っていることと同じ内容をまたわざわざ書くほど余裕のある人間ではない(日頃他人様に聞いていただけるほどのことを話していないとも言えるが)。

私は常に「是々非々」でいきたい。ときところによって言うこと書くことが矛盾しているように見られても一向構わない。態度の一貫性よりも大切にしたいモノがあるのだ。以前マスコミを「コウモリだ」と悪罵したが、私だってじつはコウモリなのだ。その自覚はある。そして自分がコウモリ的存在から脱却したいがために勉強をつづけるのだ。
ついでに言えば、私は「常に正しい言葉」というものの存在には懐疑的だ。そもそも「正しい言葉」などというのが奇妙だし。それについてはまたいずれ。
(なんだかまた滑っちゃっいました・・・)

広告

(補足)富山冤罪報道へのツッコミ はコメントを受け付けていません。