求道blog

『海辺のカフカ』と「踏み字」無罪

Posted in 日本文学一般 by UBSGW on 2007年2月23日

村上春樹の『海辺のカフカ』を読む。

15歳の少年をめぐる一人称の物語と、文字を失った「ナカタさん」を焦点とした三人称の物語が同時並行的にストーリーを展開し、交錯する。結末はやはり一人称(一見すると二人称、か)。

ところどころで素の村上春樹の声が聞こえてくる気がしたのは気のせいだろうか。

ある種の不完全さを持った作品は、不完全であるが故に人間の心を強く引きつけるーーー少なくともある種の人間の心を強く引きつける・・・ある種の完全さは、不完全さの限りない集積によってしか具現できないのだと知ることになる。それは僕を励ましてくれる

とことんとろい奴だな。ひょっとしておまえの脳味噌は寒天でできてるんじゃないのか。このふぬけういろう野郎が。なにが木の葉だ。私はたぬきじゃないんだ。私は観念だ。観念とタヌキじゃぜんぜん成り立ちが違うんだ。まったく、なにをくだらんことを言うか。

村上春樹氏についての評価は大きく分かれているのだそうだ。さもあらん。
後に引用した「カーネル・サンダーズ」氏の言葉を村上氏自身の言葉と受け取ることも読者の自由だろう。氏の作品に、「つじつま」「必然性」「(うわっつらの)リアリティ」、そんな寒天もとい観点から難癖つけはじめたらいくらでも見つけられそうだもんね。

そこから意味(にしろ無意味にしろ何がしかを)汲み取ろうとさえすれば、なんぼかは出てくるものが必ずある。私はそう思う。想像力の欠如だとか倫理観の欠如だとかを糾弾するその狭量さがそのまま別の「想像力の欠如」であることは覚えておきたい。

想像力を欠いた狭量さや非寛容さは寄生虫と同じなんだ。宿主を変え、かたちを変えてどこまでもつづく。そこには救いはない。

わたしとしては15歳の主人公以上に、文字(知識)を失った初老の「ナカタさん」に共感するところが多かったが、「文字を失った」ことに何か深い意味があるような気がしたまま、今もよくわかっていない。しばらく楽しめそう。

文字といえば鹿児島の「踏み字」事件(!)の判決が出たとのこと。

この谷敏行裁判長についてこんなブログ記事も(福岡若手弁護士のblog)。


あいつらはナカタさんのそのわけのわからない話を聞いたら、そんなもんはぽいして、適当な供述書をでっちあげる。・・・そういう誰にでもわかりやすい話にしちまう。真実が何か、正義が何かなんて、あいつらにとっちゃどうでもいいことなんだ。てめえの検挙率をあげるために犯人をでっちあげるなんて朝飯前だ。

小説はフィクションであってフィクションでない。
なんだか今日の私は文学の持つ可能性を強く感じてます。

おいおい、よしてくれよ。俺はね、おじさん、こう言っちゃなんだけど、警察ってのがきらいなんだ。大きらいだ。あいつらはヤクザよりも、自衛隊よりもたちが悪い。やりくちが汚ねえし、すぐエバるし、弱いものいじめが何より好きときてる。・・・だからさ、俺は警察とだけは喧嘩したくねえんだよ。勝ち目はないし、あとに尾を引くんだ。わかるかい?

「これがフィクションであることを証明してくれ、是非!!」と私は言いたい。

うわずった声で「紙を踏ませる行為は妥当性に疑念を生じさせかねない不適切な行為。判決を重く受け止める」と

鹿児島県警本部長 「踏み字」謝罪県議会代表質問(南日本新聞)

「妥当性に疑念を生じさせかねない」?
そういえばどこかのマスコミも「捏造と言われても仕方がない」などと言ってたが、いい加減にしてくれ。

はっきりと、
「妥当でない」
「不適切」
「言語道断」
「あってはならない」

そういうことじゃないですかね?

個人では背負いきれない責任を替わって負うということこそが組織や役所の存在意義であり責務でもあるのではないだろうか。

それなのに、個々人の関係であれば
「それで謝ってるつもりかよ!ふざけんな!!」
と言われること必定の台詞が日本中のあちこちで口にされている。いったい何のための”組織”なのだろうかと考え込まざるを得ない。

踏み字をさせた捜査官の出世の道が閉ざされるぐらいのことで責任をとったつもりになるのか。おふざけになるのはこの際よされたほうがよいと思う。とりすました言葉と担当者の懲戒だけで「組織としての謝罪」だと言いきる厚顔無恥には呆れるしかない。

村上春樹のフィクションが、「あくまでも架空の物語である」、ということを是非とも証してほしいと強く思う。無理な願いだろうか・・・。
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関連エントリ:(メモ)鹿児島「踏み字」控訴断念

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