求道blog

村上春樹『約束された場所で』

Posted in 日本文学一般 by UBSGW on 2007年3月1日

1998年に刊行されたオウム真理教信者へのインタビュー集『約束された場所で』。”アンダーグラウンド2”ということですが、1のほうはまだ読んでいません。たまたま2が手近にあったので読んでみました。

あらためて思い返してみると、地下鉄サリン事件が起こってからもう10年以上経っている。この事件の直前には阪神大震災が起こり、震災当日の夜(たぶん当日だったと思う)、部屋の灯を落としたまま布団の中で夜通しFMラジオの安否情報を聞いていたことが記憶に残っている。私は現場にいたわけでもなく、ただ遠くからテレビやラジオを通じて「情報」に接しただけであったわけだが、単にメディア経由であるというだけにとどまらない奇妙な非現実感にとらわれた記憶がある。それから間もなくしてサリン事件が起き、翌日の朝刊を目にするまでまったく事件の発生を知らなかった私は、一面におどる大活字を見るなり震災の時と似た感覚に襲われた、もっとも、今から思い返すせばそういう気がしてくるというだけのことなのかもしれないが、この本をを読み進んでいくうちに私の体の内にはあのときの茫漠とした感覚が湧き上がるとともに、胃の腑が徐々に変調を来してきた。

この本は確かにインタビューを元に構成されている。一人ひとりのインタビューの中にとりたてて過激な事実、あるいはグロテスクなものがあるわけではない。しかし一人目のインタビュー、二人目のインタビュー、三人目の・・・・・・と読み進めていくうちに彼ら全員に共通するあるものが次第に明確な形をとり始める。その或るものが私の胃の腑を揺さぶりだしたように思われた。誤解を恐れずにいえばその或るものは私と無縁のものではないような気がしている。しかし、いまのところ私にはその或るものがどういうものかはわからない。わからないまま、私の肉体が勝手に反応し始めた。

インタビューを読む限り、ここに登場するオウム教信者たちの誰ひとりとして他人や社会に対して害心を全く持っていない(ように見える)。むしろ神経質なほど「善きもの、善きこと」へ執着している。きわめて真面目な人びとだとさえ言えるようなのだ。善人だと言ってもいいのかもしれない。オウム信者には高学歴者も多数いたということがしばしば言われる。しかし注目すべきはオウム信者(インタビュイー)らに共通している「合理性への盲信」であるように私には思われた。自分の性格について、「理屈っぽい」、「納得できるまで動かない」とは彼らの多くが口をそろえて語っている。

では、そうした「頑固さ」が問題の核心か、といえば決してそうではないように思われる。彼らの「頑固さ」と他者への盲信とが結びついたとき、彼ら自身に大きな危機が訪れた。彼らのいう「合理性」は、「どこまでも自らの頭で考え抜くための足がかり」などではなかったようだ。それは自らの思考の暴走に対する歯止め、思考の規矩ではなく、不条理をも包含した現実社会から身を守るための矛であり盾であるにすぎなかった。いったん彼らが自分と同じようなヴィジョンを持っていそうな人物に出会ったとき、彼らは自発的に武装を解除することになる。すなわち彼らの頑固さは自身の内から発した信念に基づくものというよりもむしろ、外界から自分の身を守るための殻であったように思われてならない。

ただ、そうはいっても私はどうも彼らの頑固さを非難する気にはなれない。人はあらゆる手段を用いて自分を守ろうとするものであろうと思う。もしも大勢で和気藹々と鍋を囲む一座の中に身を固くして座っている仲間がいたとしたら、たいていの人は彼を非難するよりも先に優しい声のひとつもかけて和ませようとするのではなかろうか。あるいは存在を無視する人がいてもいっかな不思議ではないが、さすがに「なぜそんなに警戒してるんだよ、おい!」などと言う者は少なかろう。殺人その他の犯罪に関わった者の話はさておき、オウムの人びとに過ちがあったとすればそれは頑固さ自体でも信仰そのものでもなく、自らの自律性をすすんで放棄したところにあるのかもしれない。しかしまた、自律性の放棄が問題だとなると話はさらに大きくなってくるだろう。上司の命令には逆らえない会社員、捜査方針に異を唱えることで捜査からはずされることを恐れる警察官、その他多くの市井の人びともまた自律的存在とは言えないからだ。

オウム信者に限らず犯罪者は断罪され贖罪を果たすべきは言うまでもないし、今後再び同じような悲劇が繰り返されぬような対策を講じることは必要なことだろう。しかし、それがオウム真理教への対策・封じ込めという形でだけなされても再発防止にはつながるまい。オウム事件は私が考えていた以上に今の日本社会の現状と密接に絡みあい、また、オウム信者以外の人びと、オウム信者以外の個別の人びとへも極めて根源的な問題を突きつけている。

すでに地下鉄サリン事件は一昔前の話となった。宗教団体としてのオウム真理教は潰滅したのだろう。しかしながら、何ものかを盲信するような在り方、その場その時の支配的な言説への盲従、自律的思考の放擲、そんな事どもが巷に溢れる光景は当時も今もさほど変化していない。はたして我々の視線が、麻原ではない別のなにか、何者かに向けられていないと断言できるのだろうか。オウム事件があぶり出した様々な疑問は私自身に直接関わってくる問題でもあるのだ、と私の胃の腑が言っているような気がしている。

私が目指したのは、明確なひとつの視座を作り出すことではなく、明確な多くの視座を——読者のためにそしてまた私自身のために——作り出すのに必要な「材料」を提供することにあった。それは基本的には、私が小説を書く場合に目指しているものと同一である。

消化できていない問題を無理矢理言葉にしたせいでやけに生硬な文章になってしまいました。
ともあれこの本は、オウム事件をはるかに超えて人間の根源的な何ものかを、突き刺しあるいは切開して、顔面に叩きつけてきます。
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コメント / トラックバック2件

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  1. Dr. Waterman said, on 2007年3月1日 at 15:50

    >共通している「合理性への盲信」であるように私には思われた。自分の性格について、「理屈っぽい」、「納得できるまで動かない」とは彼らの多くが口をそろえて語っている。

    その通りだと私も思います。合理性、理屈、納得、いずれも危険なキーワードではないでしょうか。

    合理性と言う人ほど実は合理的でないということもありますが、人間は理屈で納得しているのではないことを自覚するべきだと思います。逆に、古代の人間は皆、合理性に欠けるから迷信と宗教に走ったというのも正しくありません。むしろ、古代でも、理屈や合理性を標榜したものは忌まわしい邪教に変化していきました。

    理屈で答を出したものの納得できない歪み、また理屈で出した答にしがみついて納得したつもりの自己欺瞞が、悪を加速させます。豊かな常識が最大の防波堤でしょうが、宗教教育が欠如した日本の社会も問題だと思います。

    しかし、物分りが良すぎて本当の宗教を知らない「宗教学者」に任せるわけにはいかないでしょう。彼らでは、子供たちに免疫をつけるどころか、病原菌に曝すようなものです。極端な言い方ですが、近所のお寺の坊主、近所の教会の神父のほうがよほど宗教の何たるかを知っていると思います。

    押し付けるのも押し付けられるのも、いずれにしろ、「考える」こと、すなわち人間性に対する敵対行為ですね。

  2. UBSGW said, on 2007年3月1日 at 16:44

    ドクトル、こんにちは(こんばんは)。

    わたしたちは今一度この「宗教」という言葉にまとわりついた夾雑物をひっぺがして振り返ってみる必要があるような気がしています。

    ドクトルのblogに紹介されていたケディ著『アメリカの公共生活と宗教』を今読みかけているところですが、この宗教的なるものへの誤解は日本ばかりの傾向ではないのかな、そういうところを著者は問題にしているのかななどと推測しながら読んでいます。

    とくに戦後の日本ではいわゆる宗教を筆頭にして伝統的風習その他が「合理的ではないもの」として一切合切打ち捨てられ、そして今度は反動的にまた別の(あらぬ)方向に駆け出そうとしているのではないでしょうか。

    政教分離の理念にしてもこれは宗教を危険なものとして遠ざける趣旨ではなく、宗教活動につきまといがちな「排他性」をこそ問題にしているのだと私は思えてなりません。したがって問題は宗教的か否かという事よりもむしろ排他的か否かという観点から見るべきなのでしょう。では現実はといえば・・・。

    合理性と非合理性。概念としては対極的なものだろうけれども、実生活では「合理的な非合理性」「看板でしかない合理性」などめずらしくもありません。それこそ掃いて捨てても掃き足りないほどそこら中に溢れかえっています。そしてまた合理性信者の多くは、なかなか自分の殻、合理性という殻から出ようとしません。一言でいえばバランスを失している、そういうことでしょう。

    或る意味、現代人は「合理性宗教」の盲信者・狂信者なのかもしれませんね。もちろん「非合理性宗教」への入信を勧めるものではありませんが。

    人間にとって必要不可欠な宗教性についてヨリ”合理的な”考察が必要だと思います。


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