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(メモ)報道の自由とマスメディアの現状

Posted in 報道・ジャーナリズム by UBSGW on 2007年3月8日

何か事あるごとに「報道の自由」を唱えるマスメディア。報道の自由そのものに異論のある人は少なかろうが、では実際に既存のマスメディアがそれを担える存在なのかという点については疑問を呈する方々は意外なほど多い。毎日々々発行するの紙面を埋めるためには新しいニュースが必要だ。紙面に穴は開けられない。そうしたマスメディアが陥りがちな落とし穴については明治期の渋川玄耳もとうに指摘しているところだが、現状を見る限り、100年近く経った今でもその状況は大きく変わってはいないようだ。

既存メディアの多くは、既に周知の如く「ジャーナリスト」というよりもむしろ「ニュース配信会社」と言った方がヨリ実態に近い。ジャーナリストであれば真実を追求することが主目的となろうが、配信会社となれば情報の真偽は問題にならない。少なくとも消費者が欲しがるか我慢できる程度の内容であればよい。
少し視点を変えて言えば、ジャーナリストは伝えるべきニュースがないときは寝ているか自前の小説原稿でも書いてのんびりしていればいいのに対して、配信会社は一種の仲介業であるから動かす商品がなければ営業に支障がある(というよりおはなしにならない)。つまりは常に動いていなければ死んでしまうマグロのような大型魚というわけである(絶滅危惧種ということか?)。

そうした「配信会社」にとってお役所は大事な大事な大口取引先である。しかも仕入れ値はタダ、情報を貰いに行く丁稚(当人はおうおうにしてジャーナリストを自称)には控え室が与えられ、費用はすべてお役所持ち(ただし控え室の使用権はプレミアムつき。誰もが貰えるものではない)。「会社」である以上は有利な取引先を歓迎するのは当然のことであって誰からも非難される筋はない。マスメディアは堂々と営業に励んでよいと思われる。

ただし、である、そうした配信会社が「報道の自由」を騙ることは許されないだろう。報道の自由は決してマスメディアに与えられた利権ではない。
もちろんそんなことを知らないはずのないマスメディアの中で働く人びとだって、生活のためにやむなく報道の自由を持ち出すのだ。仕方がないのだ(たぶん)。しかし、いやな言葉だね。「仕方がない」。

以下、マスメディアの現状の一端を示す資料をここに掲げておく。これはマスメディアの苦しい現状を如実に示す格好の資料だと思われる。いずれこれらの資料をふまえて、マスメディアについて稿を改めて書いてみるつもりだ。

果たして、日常の取材活動の現場、メディアの内部で「権力監視はジャ-ナリズムの根源的使命」という命題が実践されているのだろうか。
私は、そのことこそもっと指摘されるべきではないのか、と素朴な疑問を持ったのである。
(中略)
私が、驚いたのは、こうした取材班の記者たちの取材に対するあからさまな差別や圧力に対し、記者クラブの他社の記者たちが、見て見ぬ振りをしたことだ。それは、日本新聞協会が言う「記者クラブは、記者個人としての活動を前提としながら『記者たちの共同した力』を発揮するべき組織である」とは、余りにもかけ離れている。
それどころか、「道新さんは酷いですよね。うちは絶対あんなことは書きません」などと道新の報道を批判して、広報課の幹部に擦り寄っていった他社の記者までいたという。(中略)
新聞社が単なる“株式会社”に過ぎないのなら、記者もただのサラリーマンになるのは当たり前で、何の不思議もない。彼らは、この問題で騒ぎたてても何の得にもならない、と判断しているのだろう。
警察組織とは違って新聞社は「言論の自由」を叫ぶ組織である。労働組合もある。社内からモット声が上るのではないかと思っていた。しかし、そんなこともなかった。

「明るい警察を実現する全国ネットワーク」

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