求道blog

看板に押し潰される現代日本

Posted in 社会 by UBSGW on 2007年3月17日

昨日、前ライブドア社長堀江氏に実刑判決が下されたそうだ。何の縁もない彼のことを私はほとんど何も知らないが、一時期は昇龍の如く経済界で暴れまくりラジオ局だのテレビ局だのに買収を仕掛けてその心胆を寒からしめ、はたまた自民党によいしょと担がれて選挙に出馬したかと思えば私生活では美女を侍らせてウハウハであった、などとマスコミが騒ぎ立てていたことくらいは承知していたのだが。

マスコミを通じて見聞する彼の言動のほとんどは、カネか女に関係したものだったかと記憶する。実際の彼がどうなのかは知らないが、少なくとも彼が「この世に金で買えないモノはない」「人の心は金で買える」というようなことを公言したことは事実なのだそうだ。

だがそうした彼の言動は一部の人たちの不興を買いはしてもそれほど世間は騒がなかった。それはたぶん彼が企業家という、お金を稼ぐことを生業とする人物だったからだろう(企業家全てがそうだという意味ではもちろんない)。言い換えれば、世間はお金を稼ぐ人には廉恥心など求めないぞ、バンバン稼ぎなさい、ということだったのかもしれない。彼の世評が高まったのはまさに彼が若くしてどんどんカネを稼ぐ有能さを発揮したが故だった。

金が欲しい奴はしゃかりきにやってどんどん稼げばいい。株や相場で小銭を稼ぎたいのなら好きにすればいい。自分の時間をどう使おうと、自分の金をどう使おうとその人の自由だ。それは確かにそうかもしれない。少なくとも端からとやかく言う筋のものではないようだ。

ただ、儲かっても損してもその始末は自分でやったほうがいいとは言えないだろうか。そうせねばならない、とは言わないまでも。儲けたら自分のものだが損した場合は他人のせい、などというのは見下げ果てた餓鬼といわざるをえない。

しかし、そういうことは敢えて誰も言おうとはしない。堀江実刑判決に関する新聞記事を見ているとどこの新聞社も基本的には同じ論調だ。
「拝金主義に警鐘」
「法令遵守が求められる」
「金の亡者よ、さらば」
という論調のものが多い。

誰も言わない。
堀江も投資家も同じ穴のムジナである、と。
いや、むしろ同じ穴のムジナであるからこそ堀江氏が「法令を遵守」していなかったことを以て彼を断罪しているのだろう。投資家たちは彼を拝金主義者と罵ることには躊躇せざるを得ない。カネを追い求めている点では投資家たちは堀江氏と同じ穴のムジナなのだ。肥ったムジナか瘠せたムジナか、どちらがどちらなのかは分からないが。そして投資家たちは、堀江氏を指さして「この金の亡者め」とは言えないからこそ彼の「法的」「道義的」な責任を追及するのだ。彼らが堀江氏を非難しようとすればそうするしかないのだ。「俺に損させさやがってさ、あの野郎が」という言葉は表には出て来ない。少なくとも報道されることはない(報道するまでもないほど当然の反応だと言うことかもしれないが)。

そうはいっても私自身、投資家たちや資本主義経済そのものを非難するつもりは毛頭ない。ムジナなどに喩えたらそう受け取られるのはあたりまえかもしれない。よってムジナではなく同類項だと言い換えよう。
堀江氏は1000a、巷の2aも3aもまあ同類。
a は何でもよい。拝金主義でも株主利益でも投資家利益でもよりどりみどり。

堀江氏に関して、彼の法的あるいは道義的責任が声高に追及されればされるほど、いかに今の日本が「効率化」だとかその類の「看板」を背負った拝金主義に覆われているかが明白となる。そして投資家だけに限らずとも、貨幣なくして生活できない現代人は誰一人として「効率なんぞ知ったことか」「おれはカネなんかいらねえよ」とは言うことができないのだ。せいぜい「金もうけ(効率化)は悪いことではないんだけどさぁ・・・」とモゴモゴ言うしかない。

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