求道blog

『秋霜烈日』~その3

Posted in 警察・司法 by UBSGW on 2007年3月24日

「犯罪者なぞその場で射殺せよ」
これは確かに暴論だろう。ではなぜ暴論と言うべきか。「そりゃ加害者とはいえ人間である以上は(基本的)人権があるさ」とでも言っておくか? しかしそもそも彼は他者の人権を侵害したのではなかったか。加害者によっていわれなき侵害に晒された被害者は果たしてその加害者の人権を尊重せねばならないのだろうか。そのような道学者的な要求はこの際むしろ理不尽というものではないのか。

しばし考えてみた。

おそらく「その場で射殺」が暴論でしかない理由の一つは、その場で射殺される人物が「ほんとうに犯人か否か」が明瞭でない場合があるからだと言うべきだろう。(「加害者にも人権を」という綺麗事は、当事者の「クソくらえ!」という言葉にはとてもではないが対抗できそうにない。)

もし仮に無辜の人が射殺された場合、いったい彼は何のために命を奪われたのか。彼の死は社会の安寧を守るためのやむを得ざる犠牲だということになるのだろうか。そんなはずはあるまい。私たちの社会はそうした「理不尽な犠牲」を否定することを学んだはずだ。無垢な処女を、年に一度海の向うからやってくる「海神さま」に生け贄として捧げることで自分たちの村の平穏を保障して貰うと云うような話は昔ばなしでしかないはずだ。

「犯人をその場で射殺」することは、犯人の人権を尊重するためにというよりもむしろそうした(海神様への供犠に類する)理不尽な犠牲が生じる恐れがあるからこそ否定されなければならない。「被害者のために是が非でも検挙を!」という姿勢は、ひとつ間違えば若い娘を海神様の前に引き据える、村の長老の愚行につながる。

(しかしいったいいつになったら取調べ可視化のはなしに結びつくのだろう・・・)

日弁連の論文によれば取調べ可視化反対論者の主な主張は次のようなものだそうである。

  • 信頼関係構築論・反省悔悟論
  • 精密司法論
  • 供述人保護論
  • 刑事司法手続全体論

日弁連「取調べの可視化(録画・録音)の実現に向けて」(pdfファイル)

各々の詳細は省略するけれどもあえて一言附言すれば、この論文の中で紹介されている(捜査機関側の)導入反対論は「無罪推定原則」を一切考慮していないと言わざるを得ない。そのいずれもが「被疑者=真犯人」という(暗黙の)前提のもとに立論している。或いは犯人との信頼関係を構築して供述を得て悔悟を促す、犯行に至るまでの心理その他を詳細に立証する必要性がある、供述内容が外部に流出する恐れがある、等々。

とってつけたような立論としか思えないようなものもあり、また捜査機関による「取調べ内容が外部に流出する恐れがある」などという主張にいたってはある種の「脅迫」ではないかとさえ思いもするのだが、それについてはいずれ機会があれば書くことにする。


おそらく捜査機関にしてみれば無罪推定原則などというものは建前にすぎないのだろう。だってお茶の間のテレビで警察の記者会見を見ている私のような素人が「実は無罪かもしれないけれど逮捕しました」と言う言葉を耳にしたら、きっと「じゃ、なぜ逮捕するんだよ!ちゃんと捜査してから逮捕すりゃいいだろうが!」と茶々を入れるところだ。結句、社会一般の「逮捕者=真犯人」という通念もまた捜査機関の立論を裏から支えている。

冤罪を防ぐための取調べ可視化を主張する者と、社会通念を後ろ盾にして被疑者=真犯人という前提でものを言う(言わざるを得ない?)捜査機関との間の議論にはどこまでいっても話が噛み合わない不毛さを感じさせられる今日この頃。


捜査機関はあくまでも被疑者=真犯人という前提でのみ思考し行動するのだということを示すような言葉を見かけたので紹介。
「北方事件控訴審判決 県警、詳細コメント避ける」(佐賀新聞)

無罪判決で苦悩の日々を送り続ける遺族に対しては、「犯人検挙まで時間がかかったのは申し訳ないと思う」としながらも、現段階で謝罪するかどうかは「コメントできないとしか言えない」と回答を避けた

二審での判断なぞものともせず、ということのようだ。ひょっとするとこのケースは、真犯人かどうかは問わず単なる「犯人」の検挙だけが目的(市民向けのパフォーマンス)だったとでもいうのか。
側聞するところでは(今回再び無罪とされた)被疑者が検挙されるまで一向に進展を見せなかった北方殺人事件の捜査に関して「さば県警」「さばけんけい」(仕事の出来ない”ボンクラ”県警の意)という罵声が飛んだらしい。

敢えて穿った見方をしてみれば、このいささか強引ともいうべき検挙は捜査機関の汚名返上が主目的だったのではないかとすら思えなくもない。法治国家に住んでいると素直にも(間抜けにも?)信じているものとしてはそうではなかったと思いたいところだが。

最後になったが、この際、冤罪を防ぐためにもまた審理の場での無駄な水掛け論を避けかつ真犯人を取りこぼさないためにも取調べ可視化の導入を検討すべきではないだろうか。(常日頃から当為の言葉は使いたくないと思っているものの、ここは行きがかり上・・・。御免)

そしてその検討にあたっては「被疑者=真犯人」という社会通念に寄り掛からない、フェアな議論が為されるべきであるはずだ。

司法システムにおけるフェアネス。
『秋霜烈日』を読みながらそんなことを考えました。

(2007年3月24日夜一部改稿)

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