求道blog

それでも僕わ悪くない

Posted in 政治 by UBSGW on 2007年4月2日

まるで子供の喧嘩ですね。

たしかに、誤解がもとで軋轢が生じているのならば、相手の誤解を解く必要はあるでしょう。
どっかのチンピラがありもしないことを事挙げて脅迫・恐喝紛いのことを仕掛けてきているのならば毅然と反論することはもっともなことでしょうが。

不幸なことに、人間社会と同じく国際社会にもまた少数ながらチンピラ的国家が存在することは否定できそうもない。だから他国の主張を唯々諾々と受け入れるべきとはもちろん思わない。

しかし、そうした「ならず者国家(!)」からのみならず仮にも外交関係を保持している他国なかんずく最も大切な同盟国(宗主国?)からまで批判の矢を浴びせかけられている現状はどうしたわけだろうかと訝しくもある。それは確かだ。

ただし、それに対する反論はそれなりに相手に対する敬意を保っているべきではないのだろうか(少なくとも相手がチンピラではないのであれば)。
「あいつらだってスネに傷あるじゃねえか」
「人のこと言えた義理がこのバカヤローが」
「俺は間違ってねぇ。俺に反対するやつはそもそも俺に対して悪意があるにちげぇねえ」

「ぼくの周囲は悪意に満ちている」
これではまるで子供の言い分ではないか。

「安倍首相の発言は暴力的、組織的に軍が直接に関与したのかという疑問の提示だった。しかし、世間には政治家の発言を悪意をもって待ちかまえる人々がいる」

(産経抄3月30日付)
自分の言いたいこと言うだけの坊ちゃんだってさ、当人には(主観的には)悪意はないのかもしれないが、端から見れば恐らく充分悪意に満ちているように見えていると思うんだけどね。

しかし、日本にとって真の友邦はどこにいる?そうした友邦、協力者を作り出すことは政治家の重要な仕事の一つではないのか?内だけ向いて歴史と伝統を取りもどしたいのなら教育者としてのほうがやりがいがありそうですが。むしろそうするべき。 ”政治家”のやるべき仕事は、不満はあってもなんとか折り合いをつけることではないのだろうか?
自分の家の中に閉じこもって「歴史と伝統」をつまみ食いするのに忙しい人物にとってはそんなことすら見えないのかもしれない。彼には確かに外界が「悪意に満ちた世界」に見えるのだろう。

あなたがたはひょっとして、バランス感覚を欠いた奇形的な精神こそが「日本の歴史と伝統」であるとでも言いたいのですか?

いまどきの狂信的「政治家」や浮き草マスコミのヒステリックな言辞に踊らされるような阿呆な国民なんて一人もいないよ、たぶん。

真の意味での政治家が見あたらなくなった日本の当処のない漂流は今度の参院選で終わりを告げるか・・・。

願わくは他国を「チンピラ」と罵る自分たちもまたもう一つの「チンピラ国家ではないか」と言われることのないよう、より誠実で知性的な「大人の対応」がなされますように(おとな=たいじん)。

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コメント / トラックバック2件

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  1. katsu said, on 2007年4月3日 at 0:36

    この産経の論説の「免罪符」という言い方も、十分悪意に満ちているようですが。それは気のせいでしょうか。

  2. UBSGW said, on 2007年4月3日 at 10:08

    > katsuさん
    せめて「贖宥状」とでもすればもう少し語感がやわらかい気もしますね・・・。ひょっとして論説を書いた人は敢えて「免罪符」の方を使ったのかもしれませんが。
    行間からは”恨み””反感”がドクドク滲み出ているような印象を受けました。それはそれで「達意の文章」と言えるかもしれませんね。古森義久氏の記事にも同様のことが言えそうな気がします。(以前このブログで取り上げた『嵐に書く』(http://ubsgw.seesaa.net/article/32828171.html)は面白く読みましたが、今から思うと著者の人となりがそれとなく滲み出ていたような気もします)


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