求道blog

風邪の男 白洲次郎

Posted in 時事雑言 by UBSGW on 2007年5月16日

再々読。

ひところ、「カッコいい」「カッコイイ」と話題になった(なっている?)白洲次郎。この本を含めて白洲をテーマとした本によれば、彼には誰彼構わず怒鳴りつける傍若無人さと、友人婦女子には優しいデリカシーとが彼の中には同居していたようだ。
ひとが、冷徹そのもののような人間がふと垣間見せる優しさにコロリとまいってしまうように、ある種のギャップは周囲の者にはとても魅力的に映ることがある。

占領軍に伍して渡り合ったことや、その愛国者ぶりに焦点を当てたテレビや雑誌等々の取り上げ方はいかにも今の日本にはふさわしいのかもしれない。
日本の独立回復に涙した白洲。
老いてなおポルシェ911を転がす白洲。
内外の政財界に隠然たる影響力を持った白洲。
押しつけられた日本国憲法を「アイノコ」と罵った白洲。

白洲次郎は、為政者が戦後60年の自国の歩みを「戦後レジーム」と罵り憲法改正に血道をあげる今の日本には如何にもふさわしい人物”像”だとは言えるだろう。しかしながら、口先だけの出任せや他国への盲目的な追従振りばかりが目に付く今の日本の状況を白洲が見たならばそれこそ罵倒されること必定であろう。彼は愛国者ではあったが同時に天皇制廃止論者であったし、アメリカの強大さを認識しつつも「ポチ公」なぞではなかった。彼のように「自己の信念に忠実」であることはいつでもどこでも賛美され得るものではないし、彼自身もまたそのことを重々承知していたはずだ。自らを称して「プリミティウ゛な正義感」の持ち主とした彼がまさかそんなことすら認識していなかったはずはない。

ひとは自分のみたいものだけを見てしまいがちだという弱点は、ま、やむをえまい。ただ、自らがそうした弱点を抱えていることくらいは頭の片隅にでも置いておきたいものだ。

先日の新聞で目にした記事に留飮の下る思いがした。

民主主義国のリーダーが自分の国のレジーム・チェンジ(体制変革)を求める意味は理解しにくい
(中略)
首相は日本の現状と将来へのビジョンを正確に世界に伝えることが急務である。それよりも関心が過去に集中していることはまことに残念である。安倍首相が早く、過去からの脱却をするよう期待したい

ジェラルド・カーティス「『戦争の反省』説明が必要」(2007年4月24日西日本新聞朝刊)
首相を筆頭に現行憲法を批判する連中は、自らが(その立場上)遵守せねばならぬはずの国法を軽んじて恥じるところがない。これでは「押しつけ」論に欣喜雀躍してヒトラーともども戦争に突っ走ったかつてのドイツと今の日本の差異は我々が感じているよりよほど小さいと言うべきか。

ちなみに私が昨今の改憲論議に嫌悪感を感じるもっとも大きな理由は、「日本の将来を見据えて」という売り文句の背後に存在する、「(かつて)押しつけられたもの」を捨て去りたいという後ろ向きかつ浅薄な志向が見えかくれしているところにある。ましてや語られるその日本の将来像とやらがどうやら「戦争ができる国」というようなものでしかないのだから尚更ではないか。

きっと白洲次郎も草葉の蔭で嘆いていることだろう。風邪をひいたからではない。風向き次第でどうとでもなる彼の同胞たち子孫たちを嘆いているのだ。
[amazon asin=’4101227217′ type=’banner’]

広告
Tagged with:

風邪の男 白洲次郎 はコメントを受け付けていません。