求道blog

もはや戦後ではない

Posted in 雑記 by UBSGW on 2007年5月23日

(一部で)戦後レジームの打破が叫ばれる現代日本。
おらびあげている人々の目には「戦後」日本がいかなる姿に見えているのだろうか。中韓に弱腰?規範意識の欠如?押しつけ憲法?

「もういいかげん戦後から脱却しようぜ」と言いたいわけか?よしんば戦後から脱却したとしてその次に何が来るのだ?「真の戦後」?「日米新時代」?

戦後レジームから抜け出せばバラ色の、あるいはせめて「普通の国」としての新時代がやってくるかのように唱えられる楽観性はいったい何に由来するのか。60年前の戦争を何時までも引きずっているのは一体誰なのか。それはまさしく今、戦後体制を「戦後レジーム」と罵っている連中なのではないのか。

古今東西、文字通りの意味での「戦後」なぞあったためしはない。歴史は常に戦中、そうでなければ戦間だった。「戦いの後」にやってくるのは常に「新たな戦争」でしかなかったしおそらく今後もそうだろう。「戦後レジーム」から脱却したあとにやってくるのは間違いなく「戦前レジーム」でしかない。

そしてそれは「戦前」とは1945年8月15日以前への回帰などでは最早ない。新たな戦争への序奏であり戦争前レジームなのだ。もっとも、その序奏がいつまで奏でられるのか、いつ終わるのかは、何度も何度もリピートするのかはもしかすると今の我々次第なのだろうが。

普天間基地移設先での環境調査に海上自衛隊が投入された事件は今後の日本の行方を見事に暗示するものであったと私は思う。その指揮官たる防衛大臣は「(自衛隊投入を正当化する)理屈なぞどうにでもつけられる」とのたまったらしい。まったく同感だ。同感だが私と彼との隔たりは余りにも大きい。「まあ、持ってる技術を活用しただけであーる」という最高指揮官たる総理大臣の言葉もまた同様であった。確かに彼の言うとおりではある。なんちゃって軍隊「自衛隊」とはいえその武力は「国体」を大変革するだけの破壊力を備えているのだからいっそレジームチェンジといきますか?。

1930年代初頭の日本と今の日本が二重写しに見えているのは私だけではないはずだ。長引く不況の後にやってきた戦乱の時代。自由な言論が暴力によって押し込められる時代。もはやマスメディアとしての誇りを失い他に先駆けて政府御用新聞と化した新聞社もある。

60年という時間は充分に長かった。そして何時までも戦後だ戦後だと言っているうちにまた戦前になろうとしている。しかしまた希望もあるのだろう。既に歴史となった「戦前」は変えようもないが、新たな「戦前」はじゅうぶん可塑的なのだから。

空疎な言葉を吐く者にはうまずたゆまず、分かるまで問いかけ続けなければならない。政治家は痴呆者ではない。自らの分身なのだ、否が応でも。彼らの言葉が分かった気になって知った気になって理解した気になったところで無益だ。せいぜい「お利口だね~」と言われたからとて子供ならばいざしらずいい大人が喜んでいても始まるまい。

あえて言う。
戦後レジームなどという言葉には汲みとるべき意味など一切ない。それは自らの過去への呪詛の言にすぎず、過去の自分を否定することでしか今の自分の存在意義を見出すことの出来ない負け犬の遠吠えにすぎないのだ。

真に誇り高い者としてありたいのならば、自らの過去というものは決して否定し去り得るものなどではない。それはそこから教訓を汲み取るべき井戸である。そしてそれは自分のつるべを繰ることでしか出来ない作業であることは疑うべくもない。

自らの過去を否定する者はすなわち現実から目をそむける者であり、現実を直視できないボンクラに未来を語る資格などは決して無い。

P.S.
どうも独り言に終始した感がありますが今日のところはこれにて退散。ここのところそんな気分が続いておりますもので・・・。

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