求道blog

二人のハジメと阿片

Posted in 星新一 by UBSGW on 2007年6月3日

このブログの特徴の一つが「尻切れトンボ」であることに既にお気づきの方もおられることと思う。
タイトルに番号を振っておきながらその後いっこうに続編がupされないまま放置されているものがいくつもある。これは決して言い訳ではないが、「放置している」わけではないのです(言い訳か・・・)。

私の場合、書くときは一気呵成に書く。一息に書くことが物理的にも無理な場合であれば少なくとも骨組みだけは書き上げる。というのも一旦休符をいれてしまうと再び立ち上げるのに莫大なエネルギーが必要になるからなのだ(ハイ、言い訳です)。実際のところ”再起動”出来ないままのことも多々ある。
したがってこのブログも、本来ならば最後まで書き上げた上で寝かせ推敲したものを分載するべきなのだ。が、大抵は思いつきをそのまま(誤字脱字もものかは)upしている次第・・・。

なにを言わんとしているのか。
いや、回りくどいね、あまりにも。
・・・・・・
いやぁ、一言でいうなら「行き当たりばったりで書いております」と言うことです・・・。
はい、それだけです。

いやはや、前置きが長くなった。

先日、佐野眞一『阿片王』についてupする予定と書いたものの、そのあと少しばかり「気になること」が出てきたので別の機会に改めてupすることにしました。
とはいえそれだけでは言い訳に終始してしまうので、当の「気になること」について書いておきます。

『阿片王』は里見甫(はじめ)という人物の実像に迫ることを通じて戦前に日本軍が中国・満州において密かに行った阿片取引に光を当てようとしている。この里見甫について私にはこの本を読むまで何一つ知るところがなかった。しかし同時に彼のような人物が近代日本の大陸政策に深く関わっていたであろうことは承知してもいた。

里見についていえば、彼は修猷館・東亜同文書院出身の貿易会社員、ジャーナリスト、満州国通信社主幹、関東軍嘱託・・・。一度たりとも軍人であったことはなかったし政府の一員であったこともない。徹頭徹尾の民間人である。が、その彼が日本政府の大陸政策の深部において極めて重大な役割を担う存在であったというのが佐野の著作の主眼なのだ。

日本の大陸(対中国)政策と阿片。阿片資金に依った関東軍。阿片資金にたかったという点に係る日本と蒋介石国民党政府の共通性。

戦後60余年を経た今も日中関係は清算されたと言える状況ではない。一方当事者は「もう済んだ話ではないか。いつまで謝罪させるつもりなのか。もう知らぬ」と言い募り、片や「まだ清算されてなどいない。歴史を直視せよ」といわゆる”反日教育”を続ける。
枝葉末節はさておいて大ざっぱなことをいってしまえば、「両国間で清算されたか否かについて共通理解に達していないということはすなわち未だ清算されていないのである」と言うべきなのだろう(当然だ)。

しばしば「政府として行ったことではない」という言辞が弄されることがある。しかしこれが相手方を納得させうる言葉遣いではないのは言うを俟たない。政府間のはなしであればそれで事済むことは確かにあるだろう。しかしながら日中が抱える問題は民衆の感情と不可分というべきだろう。現に相手方の土地に軍隊を差し向け、その土地で軍事力を行使し国土の荒廃に加担した以上は。この点、現在の在日米軍問題ともつながる。政府間で合意が調ったところで現地の(沖縄)の人々の感情・思いは全く別のものとして存在し続ける。国土防衛のために必要なのだという正論も彼らの(旧日本軍・米軍の駐留による負担が我々にばかり負わされているという)生活実感を変えることは出来まい。

しかし、(中国政府のことはよく知らないが)日本に限って言えば政府はそうした「感情」に驚くほど疎い。それは感受性が欠如しているのか、それとも感じながらも見ないふりをしているのかは私にはよくわからない。ちっぽけな小型漁船で事済む程度の潜水調査に数千トンの掃海母艦を派遣して「待機」させる目的が奈辺にあったのかすら感じ取れないほどの不感症に陥っている日本人は果たしているだろうか。

母艦派遣に賛成する者も反対する者もその(母艦の)存在が現地の人々の行動を強く掣肘するであろうと期待(あるいは危惧)したという点では何ら差はない。もし仮にどこかのお役所が「大した影響力はないけどとりあえず派遣しといただけですよ」と言うようならばそれは税金の無駄遣いとして大いに責められて然るべきだろう(もっともこの件がゼニカネの問題どころの話ではないのは繰り返す必要も無かろうが)。

いやはや
また横道に逸れはじめた。

一口に言えば「政府として○○○」と公言することにどれほどの意味があるのか、またどのような効果があるのか大いに疑問だと言うことなのです。
(もっともらしい)正論は時に相手方を逆上させることさえある。
相手方を逆上させることが真の目的であるのならば、近年の日本の政策が極めて有効なものであることは先般の従軍慰安婦問題(「広義の狭義の」発言と訪米時の謝罪発言)における安倍首相の右往左往ぶりを見れば明らかだろう。

で、
戦時中の中国における阿片政策にはまさに「政府として行ったものではない」にもかかわらず、日本国の対中政策のうちの非常に大きな柱の一つであったというところに大いに興味を覚えた。現地中国人が日の丸を「日本の国旗」としてではなく「阿片販売の商標」と理解していたらしい記述を読みながら、果たしてそれに類する誤解が現在は完全に解消されたのかどうか大いに怪しんだ次第。

それともう一つ気になる点。
この本を読んだ直後に(ようやく)最相葉月『星新一 1001話をつくった人』を読んだのだが、新一の父であり星製薬創立者である一(はじめ)に関連した政府・軍部・満州人脈・阿片の記述を読みつつ佐野の『阿片王』がフラッシュバックしっぱなしであった(どちらも新潮社刊なのは偶然か?奇しくも里見甫と星一、ハジメつながり)。

というわけで
その辺りを整理した上で改めて書くかなと思っております。時期不明ということで。

この二著、どちらも労作。
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