求道blog

政治の季節

Posted in 政治 by UBSGW on 2007年7月13日

参議院選挙が公示されて新聞テレビは選挙その他の政治関連記事が目白押しである。私の自宅近くにも早速候補者のポスターが貼り出されていた(朝おきたらもう貼ってあった)が、あらためて見るまでもなく如何にもそれらしい胡散臭さげなお顔だったので「ホッ」と一安心した。

というのも、松岡前農相の例を見るまでもなく、ひとたびあの世界に足を踏み入れたものは遠からず泥にまみれカネにまみれて無惨な姿を露呈してしまうので、善人らしき人が政治家を志すと聞くとこちらの方がいたたまれない気持ちになってしまうのだ。

なろうことなら(うん、なろうことなら)今度の選挙では人格識見ともに優れた方々に当選して欲しいと切に願っている。

昨今の政界のように、まっとうな「論議」がなされることもなく多数党が強行採決を乱発し、(愛国者にさえ)愛国心を強要する法律作るわ、はたまたザル法作って「実績」と強弁するわ(以下略)という状況ではではなはだ薄ら寒い思いがする。

昨日も書きかけたことだが、
「国会で与野党が議論したうえで今のルールがあり、ルールに従って対処することが大事」
(某有力政治家談)
とのお言葉にわたしは賛意を表す。なんの異論もない。
国会でなされたフェアな議論の結果もたらされた議決に関してわれわれ国民は仮にそれが我が意に反するものであっても従わなければならぬ。それが民主主義というものなのである。ルールは守らねばならぬのであーる。

そう、たしかにこれは立派な看板である。

「いのちを大切に」
「ご利用は計画的に」
「喫煙は、あなたにとって脳卒中の危険性を高めます」

問題は、だ。昨今の政治が本当に「フェアな」「議論(言論)」に依って立っているのなのかどうかであって、今回の選挙で問われているのもまさにこの点なのだろうと私は考えている。争点は、年金でもない政治資金でもない改憲論議でも集団的自衛権でもない。今、果たして公正で自由な言論に基づいた政治が為されているのか否か。その点について有権者が評価(判定)を下すというのが今回の参議院選挙の隠れた(隠された)目玉といえるのではないか。

地方に住んでいる方は思い当たる節がおありになるだろうが、選挙のたびによく耳にする「パイプ」という言葉がある。町会議員選挙では「県とのパイプ」、知事選・国政選挙では「国(あるいは中央官庁)とのパイプ」。
「パイプ」が候補者のアピールポイントになるという現実は、政治家や官僚がどれほど公務に於ける公正さや透明さを謳おうとも、彼らの世界でもまた世間一般と同様にコネ付き合い面識地縁血縁学閥その他の「インフォーマルな契機」によって物事が左右される世界であることを如実に示している。そしてそれが当然のこととして何の臆面もなくメディアやスピーカーを通じて公言される現実がある。もちろんここで言わんとするのはその是非ではなくあくまでも事実の認識にすぎない。
わけもなく同郷人に親近感を覚えること、血縁者間の親愛の情、今さら切り離せと言われても困惑するであろう旧友・学友との交友関係。そうしたものは職業を問わずあって当然持っていて自然であり、もしもあなたは政治家なのだから官僚だから縁を切れと言われても無理なことだろう。しかしそうしたインフォーマルな関係があからさまに「売り」に出される現実にはいささか奇異の念を覚えるのもまた事実。

どうもはなしがまとまらない。
今次参院選の私的位置づけが「パイプ」に逸れたのが一因か。というより原因はBGMにあるようで・・・。
結論。ryuの冬ソナテーマ曲は書き物をしながら聴く曲としてはいまいち相性がよろしくない!

ああ、そうさ。書き捨てさ。
近いうちに衝撃的なやつupするとしよう。

いやね、もともと選挙そのものよりもその周辺の「自由な言論」とか「公権力の濫用」とか「知性」について書くはずだったのだ。純愛BGMじゃ書けねえよな。やはりこのてのテーマのBGMはマーラーあたりかな。テーマは「怒り」。

今日はこれにて。

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