求道blog

通報するときは"演出"が必要?

Posted in 行政 by UBSGW on 2007年7月20日

既にいくつかの全国紙でも報じられた一件だが、
一刑事に対して市長に関する不穏情報がもたらされ、上司にも伝達されたものの、

「差し迫った緊迫感はない」

として対応が取られぬまま、(結果として?)市長が射殺される事態に至ったのだという。

これに関連する地元新聞の続報。
「直属上司も情報把握 通報放置『不適切と言えず』」(長崎新聞)【ウェブ魚拓】
※この新聞社、直リンク「厳禁」だそうなのでリンクは控えます。
”伊藤長崎市長射殺事件”でgoogle検索すればトップあたりに引っ掛かるはずです。

このこと自体の当否は別にしても、これが発覚したのち、部下にのみ責任を負わせようとした上層部はまるで旧日本軍のそれと同様ではないか

やはりこの組織にも「廉恥心」や「知性」などというものが欠落しているらしい。
「全容の解明」であるとか「社会正義の実現」などという言葉は如何にも頼もしいが、その実「ミス」や「勘違い」を誤魔化すためならば
「部下に責任をしょいこませ」
「ウソにウソを重ねて」
「強きを助け弱きをくじく」
旧軍若しくはアウトローなみの非知性的暴力集団であるかのようだ。

もし彼らが看板通りの頼もしい存在であろうとするならば、「失敗から学ぶ姿勢」と「虚心に事実を見る目」を是非とも取り戻すべきではないか。わたしは切実にそう願っている。もちろん亡くなられた市長の命は取り戻すべくもないのだが。

その職務の性質上、「失態を糊塗し続けることなぞ出来ない相談」だということをあなたがた以上によく知る者はいない。そうだろう?

それともなにか?通報するときには、
取り乱し、
錯乱し、
助けを乞い願って、

「差し迫った緊迫感」を”演出”したほうがよかったのか?
もしそうだというのなら市民に対してはあらかじめその旨周知しておくのが「親切」というものじゃありませんか?>おまわりさん

ところで、個々人の能力なり不手際なりをフォローできない警察「組織」の存在価値ってのはいったいどこにあるんでしょうね(愛知長久手の殉職事件のときにもこれを強く感じた)。ここでいう「フォロー」は「隠蔽」や「ほっかむり」ではないことは言うまでもなかんべ。

現場警察官もまた被害者、か?

こういうの、ほんとになんとかなりませんかね・・・?
誰しも忍耐には限界つうのがありますしね。
私も(警官じゃないけど)待ってたんですが。徒労ですか?

(つづく)けど(次回未定)

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