求道blog

白昼夢の政治

Posted in 政治 by UBSGW on 2007年7月26日

さて。
どうやらlinux版xfy blog editorが使えるようになったので、ここらで今次参議院選挙について一席ぶってみようか。
と思ったけれど、既に自民党の敗北宣言も出たことだし(というか正確には「選挙敗北でも僕やめませんから」ということらしいが)、やめておこう。

とはいえ、気にはなっている。
先日の「政治の季節」で私は次のようなことを書いた。
今次選挙の争点は年金問題でも格差問題でもなく昨今の政治が本当にフェアな議論(言論)に依って立っているのなのかどうか(以下略)
いささか舌足らずな物言いではあったといま思う。そこで少しばかり言葉を補っておきたい。

今次選挙の争点は、
「生活実感」と「空疎な言論」とのどちらを選びますか?
そういうことだ。
今日の晩ご飯のオカズ、明日に迫った懸案のプレゼンテーション、子供の受験、親の介護だとかいう、ありふれたものでありながらも切実な種種の問題を抱えた個々人にとっては、もしかしたら起こるかもしれない戦争に備えた法改正だとかひょっとするとやってくるかもしれない「実感の伴った」好景気だとかいうことどもは、(1年や2年程度の短いスパンでは)しょせん「おもちゃの兵隊ごっこ」「とらぬ狸の皮」に過ぎない。少なくとも私にはそう思える。

とっとと結論にもっていこう。
いまの政府与党は言葉ばかりが勇ましい。そしてまた数々の失言問題に見られる如くその言葉はあまりにも軽い。そこにはフェアネスも惻隠の情も見えない。その欠片さえもなさそうに私には見えている。

経済成長こそが現状を打開する唯一の方策だとのだと彼らは言う。イノベーションに基づく経済発展こそが日本の未来を築くのだと。それ自体は確かにもっともな言葉ではあろう。しかしその内実はあまりにも貧しい。ほとんど白昼夢の世界に等しい。

すでに旧聞に属するが、しばらく前に政府筋が策定した「イノベーション25」中間とりまとめ」とこれをもとにした(子供向けらしい)小話は、彼らがどれほど真面目にくだらないことを喋々しつつ多くのリソースを浪費しているかを非常にわかりやすく示してくれる。
「伊野辺(イノベ)家の1日」

ユビキタス、電気自動車、新薬発明・・・。一読ながらそこには革新性の影すらない。いま既にあるものの延長でしかないものばかり。ほとんど新聞正月版の「未来はこうなる?」的なものでしかない。イノベーションそのものは望ましいことだとしても、どうやら「彼らの言うイノベーション」とやらはその程度の白昼夢レベルのものらしい。ましてや、このような代物におそらくは日本でもトップクラスの人材が投入されている。なんとか会議の委員なぞどうでもよい。しかしあまたあるなんとか会議の周辺にはボンクラ委員が足元にも及ばぬ優秀な官僚がひしめいている。あまりにも悲しい。悲しすぎて笑えてしまうほどに。

このような悲劇的喜劇が生じた原因はただひとつ。「革新」「イノベーション」という言葉の持つ語感だけを欲しがるボンクラ政治家の存在だ。なにもイノベーションに限らずとも、彼らの吐き出す言葉のほとんどは中身の伴わない「キーワード」に過ぎず、国会ではそのような空疎な言葉を用いた空騒ぎの挙句に強行採決で幕。小選挙区制の下、議員一人々々は員数合わせのための存在でしかなく、国民の代表者としての重みなどもはやない。そしてあまりにも軽い言葉と軽い論議。

当然のことながら白昼夢状態の政治家どもと国民一般とはまるで別世界の住人の如くなっている。彼らの目には支持率とかいう「数字」と周囲の仲好し同志くんたち以外のものなぞ映っていない。だから彼らは国民一般の反応がまるで読めない。まして彼方にある諸外国のハラも当然読めるわけがない(既に証明されたと言ってよかろう?)。
昨今の政治家たちの失言の数々や年金問題とそれに対する政府の頓珍漢な対応ぶり等々がはしなくもこうした政治家・官僚と国民一般との乖離状態を白日の元に晒すことになった。

そして政治家たちによってそこらここらに取り残された1億国民のうちには、さらに「ワーキングプア」として経済的にも「放り出された」人々が数多く含まれている。はたして、困窮する人々を「自助努力の足りない者」として放り出すような社会は共同体としての存在意義を持っているのだろうか。私たちの社会が共同体としての意義をすでに失っているのならば、その社会を維持するための金銭的負担や倫理的規範を放擲する人間がぞくぞくと生まれたとて誰が責められるのか。何が彼らを押しとどめられようか。

これ以上脱線する前に区切りを付たほうがよさそうだ。。

今回の選挙の争点を単に年金問題だとか格差問題だとかいう個々の問題に限定してしまうことは、わかりやすくはあってもいささか危険なことだと私には思える。言うまでもなく今回の選挙結果がどうであれ、それですぐなんらかの具体的成果(年金問題の解決だとか格差解消だとかが)に結びつくことはまずない。まず問われるべきはそうした個々の問題に通底する「元凶」はなんなのかということであろう。敢えてそれを一つだけ挙げるならば、それは官民を問わずあちこちに瀰漫している責任回避・問題先送り・リソースの浪費等々であり、国民の誰もが漠然と感じとっている「組織」「共同体」の存在意義に対する疑念ではないだろうか。にもかかわらず「革新」を唱えて登場したはずの現首相は相変わらずの責任回避。そして彼の周辺もまたしきりに彼を擁護し、なおかつ国家そのものは革新どころか復古の嵐。声なき民衆(国民)の感情は文字どおり行き場(はけ口)を失っている。
結局のところ、今次選挙の最大の眼目は、(政治家たちの思惑は別として)こうした「民意と政治の乖離状態」を看過してよいのか否かであり、復古政治と民意との乖離状態の解消こそが今回の選挙(有権者の投票)の意義を生ぜしめるのだと私は思っている。

白昼夢を見ながら自慰に耽る政治家はさっさと引退してよし。
もっともそのような政治家を枢要な地位に押し上げた「民意」とやらもまた批判されるべきではあろう。そしておそらくそれ(批判・反省)もまた投票行動によって為しうるということなのだろう。
一票の重みという言葉がやけに切実な意味を帯びているような気がする今日このごろ。かつてこんなことはなかった気がする。

けっきょく選挙のはなしになったようで・・・。

(2007年7月27日一部改稿)

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