求道blog

今日もタコツボ掘り

Posted in 雑記 by UBSGW on 2007年8月21日

ひところに比べるとブログの更新もだいぶ間遠になってしまった。

飽きてきたのかといえば決してそうではなく、・・・・うーん・・・単に手持ちのネタ(それまで心ん中に堆積してたものの大部分)を吐き出し尽くして、さしあたり言うこともなくなったというところか。もちろん、いまだ言葉にできない諸々あるわけで(黒板純くん風)、むしろ「肝心なこと」ほど言葉にし難い。そんなわけで今はアンテナをあちらこちらへ向つつ、そちこちのブログを眺め、本を読み、そして申し訳ばかりの思索にふける毎日。そして時々おのれのブログに書き付けつつ、そこにおのずと浮かび上がってくる自分自身の思考態度に対して、飽き足らぬ思いが募ってくる。

「賑やかな此岸から人影疎らな対岸に跳び移る」

たぶんこれが俺の変わらぬ習性なのだろう。みんなで楽しくワイワイも、総出で喧々囂々(けんけんごうごう)侃々諤々(かんかんがくがく)も、一歩どころか二、三歩四歩五歩離れたところから眺めときたい。

冷静だとか客観的だとか言えばそれも悪くはなさそうだが、むしろ死んだ魚のような眼でテレビを眺めつづけるガキとさほど変わらない気もする。いい年こいたテレビっ子。テレビを見ないテレビっ子。賑やかな此岸よりも人気のない彼岸、いや対岸に行きたがる捻くれ小僧。ここはやはり彼岸ではなく対岸と書くべきだろう。なんでも反対野党と同じこと。俺にとって「彼岸」は死ぬまで辿り着けぬ約束の地。まさしく「お彼岸」。ナンマイダ。

ひとしきり自分自身を腑分けしてみて犬猫の轢死体をまじまじと見た気分に陥ったら、今度は様々な人たちの様々な発言を腑分けしては「此岸」と「対岸」とに分類して遊んでみよう。
上から物言う奴、下から物言う奴、対岸から「こっちに来ねぇやつらは馬鹿どもだ」と叫ぶ奴、此岸から「通説はそうではない」と澄ましている奴。もちろんは此岸と対岸との間を流れる川に架橋すべく一人で黙々作業を続ける者の姿もある。人さまざま。それはそれで人間どもらしい、か。しかし奇妙な者の姿も時々見かける。此岸にも対岸にも”同時に”顔を見せ(人間わざではない)、そのくせどちらに在っても自分自身の都合にあわせて此岸でもない対岸でもない「自分だけの世界」を作り上げて悦に入っている奴。アベ、アカギ・・・・・その他。

「証拠はない」「断定できない」

一国の首班としての自分に求められているのが価値判断なのかそれとも事実判断なのかすら”判断”できないのか、いや、それとも空とぼけて煙に巻いているのか。そりゃ判断能力がないとすれば馬鹿にもされよう、あるいは空とぼけているのなら誠実さを疑われて当然なのだろう。

「国会で与野党が議論したうえで今のルールがあり、ルールに従って対処することが大事」

「今のルール」=今の政治資金規制法
「ルールに従って」=ルール一般

「概念の混同」は無知の故か?いや、そんなはずはあるまいよ。なんせ彼は「東大卒」なのだそうで。それとも東大つーのはその程度のことも分からぬ奴を量産してるのかね。もしそうでないとすれば彼の行為は故意だろ?つまりは詭弁だよ。もしそうなら・・・(以下略)。
そりゃ馬鹿と鋏は使いよう。詭弁もときには有用だろうさ。しかしそればっかりじゃうんざりなんだよ。
対岸から彼らは叫ぶ。「おれはそっちの人間じゃないもねー、アッカンベぇ」。

「事実」とやらを一億兆個並べたとて対岸には渡れぬ。各々があちらがわでこちらがわで地面を掘り下げ、自慢の宝(事実)を並べ立てることもそれはそれで結構だろう。だが、タコツボ掘りだけではあまりに虚しい(もちろんそれがこの世に二つとない見事なタコツボなら見てみたい気もするが)。

安部も赤城も逝ってよし。

いや、そんなことはどうでもよい。

此岸と対岸との間に橋を架けること。

たぶんそれが必要なのだ。彼岸に近づくために。彼岸に打ち寄せられる前に。

そうでなければ生きている甲斐がない。

「そうだろ?俺」

なんだなんだ、またタコツボ掘っちまったよ・・・・。

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