求道blog

読書感想文の呪い

Posted in 日本文学一般 by UBSGW on 2007年8月26日

子供を本嫌いにさせるには読んだ後に必ず読書感想文を書かせればよい、と言ったのは誰だったろうか。どこかの小説家だったかそれとも意外に身近な人物だったのかは覚えないが、その言葉を聞いたときに私は深く深くうなずいたような気がする。まさにその通り、と。

そのむかし、学校で(あるいは宿題として)詩や小説を読み終えたあとに私が書いた「かんそー文」は文字どおりの「作文」であった。「主人公の力強さがグッときて云々かんぬん」「私も彼のようにどーたらこーたら」、まあそんなことを書けば評価されるものだと信じていた私は本音とは程遠い”作りもの”の文章ばかりを始終でっちあげてそれなりの”成果”をあげていたのであった(笑)うん、結構作文の成績は良かった気がする。そんな風に小賢しかった私があるとき渾身の力を込めて小説かなにかの感想文(小説、じゃないですよ)を書いたことがあった。それはおそらく私にとっては自ら書きたいと思って書いた最初で最後の読書感想文であったが、それを読んだ国語教師は「手を抜くんじゃない。かきなおせ!」と至極真面目な顔で仰られた。おそらくは、常日頃だらけるばかりで一向にやる気を見せないガキに「ちょっとここらで喝いれとこか」くらいのことだったようにも今なら思えるのだが、お猿さん当時の私は「っにぉぉぉお!」と臍を曲げて以来感想文と名のつくものは一切「作文」、いや「作”感情”」に徹し、その後も必要最低限の文章(それをせねば路頭に迷うことになるような、書くことやむをえざる文章)は徹底して主観を排した(主観的には)デューク東郷ばりにクールな文章を書くことに徹したのでありました。したがってまた「なーに?ネットで日記公開だぁ?んな小っ恥ずかしいことできるかってんだーぁ」というのがつい1年半ほど前までの私の確たる信念(?)であった(それがいまは独り言ばかり書き付けて・・・)。

また前置きが長くなっている。

まぁ、そもそもつまんないもんを読んでみてもやっぱりつまんねぇし、感想ってもそりゃ書けませんやね、ということですかね。便秘の人間に「出せっ出せっ」つうても無理なんじゃわな。そういうわけで学校で感想文を書けば書くほどに青少年たちはまるで下剤を大量にのんだ者のようにその調子を狂わせていくのであった(ほんとかどうか知りませーん)。

いやいや
しかしであるよ。
書く。書きたい。書かせておくれ。読んでくださいませ。頼むよおっかさん。そういうこともやはりあるのです、ハイ。

村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』三部作。

「ええぇ、村上さん、94年にもうこんなん書いたのおおおおぉ・・・」「もっと早く手にしていればなぁ・・・(遠い目)」

というのがこの本を読んだ私の感想です。

「あれがこうだ」「だからそうなった」というのは、ちょうど電子レンジに「茶碗むしのもと」を入れてスイッチを押して、チンと鳴ってふたをあけたら茶碗むしができていたというのと同じで、ぜんぜんなんの説明にもなってないんじゃないかしら。

私たちのまわりからはたしかに意味のない無用な暴力は姿を消しました。そのかわりにそこには新しい種類の冷酷な計算ずくの暴力が生まれたのです。

前置きが長くなりすぎてもう息切れ。またいずれ。御免。

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