求道blog

答えのない問いへの応え

Posted in 書籍一般 by UBSGW on 2007年9月3日

酷熱の季節もようやく過ぎた。心なしか夜の虫の声もひところに比べると幾分おとなしくなったような気がする。消え入りつつあるのは声だけか、それとも・・・。

秋の日は釣瓶落とし・秋風索寞・秋高くして馬肥ゆ・秋霜烈日・秋茄子嫁に食わすな・読書の秋。

昨日は終日家にこもって読書にいそしむ。午前中は最近の日課となった『ワイマル共和国』を読み、午後は以前から楽しみにしていた平川克美の『株式会社という病』を一気に読んだ。満を持して読むというのはおかしな物言いだろうか。
平川氏のブログは私のお気に入りの一つであり、この本も刊行前から楽しみにしていた。ちなみに前著『反戦略的ビジネスのすすめ』も併せて読むつもりでいたらなんと品切れ、おまけに近隣の図書館にも所蔵がない。おいしそうな羊を一匹見つけて、「もう一匹近くに居るな、うむうむよしよし」と密かに一石二”羊”を狙っていたところで最初の一匹にまんまと逃げられてしまった間抜けなオオカミの気分を味わう。ま、一匹だけでも読めただけよしとしよう。重版に期待 >洋泉社。

日頃著者のブログの味のある文章を楽しみに読んでいることもあってイザ勢い込んで読み始めたが、なんだか様子が変。あっちこっちでけつまづく。前に進めない。そういえば文章のあちこちに小石(句読点)が転がっている。それも尋常な数ではない。「え?」「うわ!」「あいてて」。

文体の許容度が高いブログという媒体において「俺」と自称する著者もこの本では「私(わたし)」で通している如く、媒体にはそれぞれ特有の制約があるらしい。虚構であることを前提とした小説あるいはタレント本やエッセイならともかく、ふつう「俺」という言葉に書物の中でお目にかかることはあまりない。俺ではなく私と自称することにした著者の意図が奈辺にあるかは知る由もないが、最初のうちは「ブログじゃないしね、本だからね」というわりと消極的なものを憶測しつつ読み始め、小石の多さの理由もそうした著者の身構えゆえのことだろうと漠然考えた。

とはいえ、当然のことながら平川節は健在である。

金融それ自体は、新しい価値を何も生み出してはいない。価値の源泉はあくまでも、ものづくりやサービスの現場から湧き出ている。その現場で、製品やサービスと交換され、退蔵された貨幣こそが金融のベースである。この行き場を失った貨幣は、銀行や投資家に預託され運用される。そして、金融市場という巨大な賭場で取引されることになるのである。

そう言われてみれば当たり前だと思うようなことは、たいていのばあい私たちの視界から消えてしまいがちである。ましてや「経済成長なくして財政再建なし」のご時世、金融市場の興隆が望まれこそすれ決してそれが賭場と大差ないことなどということは公には語られることがないし、「経済成長しても財政再建できず」に終わるという可能性も強いて視界の外に放り出される。「なんのかんのと言ったってさ、それが現実なんだからさ、おれたちもやんなきゃね」というのがいわゆるグローバル・スタンダードというやつだ。
そして賭場は今後も拡大し続けるだろう。

もちろん著者はそれを糾弾しない。彼は弾の飛び交う戦場の真ん中で戦争について考察し始める馬鹿な兵士ではない。言ってみれば、決して戦争を肯定することなくまた闘争そのものに惑溺することもない知性を併せ持った軍人といったところか。むしろ戦争の本質について批判的に考察できる軍人であるところに彼の言葉の重さの根っこがあるのだろう。

確かに首尾一貫煮え切らないのがこの本の特徴と言えないことはない。そこには今後採られるべき施策の提言もなく会社経営の秘訣もない。会社・資本主義・技術革新といったものの本質に関する「答えのない問い」が繰り返されるばかりである。原理的な問いに向けられた彼の眼差しには憎悪も憧憬も軽侮の色も含まれていない。とはいえ、ただとにかく知りたいのだなどという軽々しい知的関心というものでも(恐らく)ない。文面には自身がその渦中にありながらも受動的に流されるがままになることを拒もうとする反骨、いやしたたかさが匂う。

世の中にはでっかい声で「レジームを打ち倒せ!!」と叫ぶ人もままあるが、そのような「スローガン」は物事を動かさない。強いて言えば、事が既に始まり勢いよく進んでいくときにようやく力を持つばかりの、軽々しい騒々しい言葉に過ぎない。そして万に一つでもそのような言葉で何かが動き始るとすればそれは多分ろくな結果をもたらさない。

思想の質は、その思想の内実が如何に精緻な思考に基づいて生まれてきたかとうよりは、むしろその思想の敵対者に対しての批判の言葉遣いのほうが遥かに雄弁に物語るものである。

こうしていざ読み終えてみて、改めて文中のあちこちにばら撒かれたたくさんの小石について考えてみるにその役割がなんとなく分かるような気もした。読者の誤解を最小限にとどめようとする著者の周到な配慮であると同時に、ひょっとしてすーすらすいすいと前のめりに進もうとする一読者その他へのそれとない訓戒であったのかもしれない。

どうやらまたとりとめのないことを書いてしまったようだ。しかしこの本に私の内の何かが反応したのは間違いない(これは主観ではない、「事実」だぁ)。
ただそれが何なのかを明確な言葉に移せずに独り言に終わらざるを得ないのが、歯痒いなぁ。

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コメント / トラックバック1件

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  1. 経済学のことを知ろう said, on 2007年10月3日 at 8:00

    貨幣貨幣(かへい)とは、「価値の尺度」「交換の媒介」「価値の保存」の機能を持ったモノである。かつて貨幣は本位貨幣(本位金、銀貨)を指す言葉であり、銀行券とは区別していた。現在の通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律|通貨法においても補助貨幣としての硬貨を指し、紙幣(日本銀行券)とは区別している。しか


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