求道blog

鋏しか使えぬ植木屋

Posted in 教育, 格言集 by UBSGW on 2007年9月9日

ありゃ、今日は日曜日であったか。不覚。文字どおり「覚えず」。曜日の感覚が失われていた。

だからというわけでは全然ないが、連チャン投稿。
読書メモを見返していたら「おお、これこれ!」というのがあったので引用。

肥料のことを忘れて鋏ばかりチョキチョキやる植木屋は、要するに旦那芸以上のことは出来ない。

苦情を恐れて何ができるというのだろう。たしかにそんなものが出ない方がいいのは確かだ。しかし八方に媚びを売っているうちに自分そのものが失われ損なわれ破滅に近づくくらいなら、いっそ苦情の方がましではなかろうか。とはいえ「毅然」としていれば良いというものでもないだろう。しばしば「毅然とした態度とは、目を三角にして相手を威圧しあるいは敵意を剥き出しにして見せること」だと思っておられるのではないかと邪推せざるを得ない方々がおられるが、実際には友愛の情を含ませた毅然たる態度というものもあるものなのだ。しかしそれを体現できる人は極めて稀でもある。そうでない例はどこにでもある。とくに学校という場所に行けば、縁日の露店の如くありふれたものだ。

忠君愛国者を製造する為に、高等試験に国史を必須科目にする由、形式主義の弊、ついにここにいたる。歴史は知らなくとも田舎のおやじさんは忠君愛国者であり、歴史を研究して足利尊氏を崇拝する者もある。愛国者は一定の型から生まれるものではない。

この複雑煩瑣な日進月歩の世の中に、死んだ人の固有名詞や年代や、果ては有史以前の神々の長たらしい名前を初めとし、何百何千と暗記しなければ役人になれないとなると、役人はみな学校の先生みたいな小じんまりとした人間ばかりになってしまうであろう。恐ろしいことだ。

いずれも引用は正木ひろし『近きより』より。
昭和13年の正木の言。

中学校における武道必修化、高校のおける日本史必修化の動きにはいささか首をかしげざるをえない。日本古来の伝統の尊重だなどと仰っておられるようだが、「尊重」するとことと法律による「義務化」とは水と油の如き違いがある。はたして「義務としての尊重」などというものがこの言葉本来の意味での「尊重」と言えるのだろうか。これもまた「形式主義の弊」「形式主義の典型」と言えはしまいか。

むしろ正木がこれらの言葉を漏らさずにはおれなかった時代がふたたび巡ってきたのであろうか。形ばかりのスローガンで国民をあらぬ方向へ導くことこそが日本の由緒正しき伝統だとでもいうのだろうか。そうかもしれない。

そういえば、武士道をキーワードとして日本の伝統を称揚した『日本の品格』を著された藤原正彦氏はこれらの動きついてどのように考えておられるのか非常に興味のあるところだ。読者の誤読をなげいておられるか、それとも我が意を得たりの思いでおられるのか。

いずれにしてもかの著作は極めて罪深きものであったかもしれぬ。「論理だけでは破綻する」ことがあるのと同様に「情緒だけではこれまた恐ろしい」と、くどいようでも断りを入れておかれるべきであったか。確かに危険な匂いのただよう本ではあった。

自らの国土への愛と誇りがそのまま他国に対する侮蔑となってしまえば元の木阿弥。それを知らない著者ではないと思っているのだが。どうなんだろうか。

ベストセラーは十中八九クズである(UBSGW)

良書はたいていホコリにまみれて倉庫の片隅に捨ておかれるか、絶版。それが私の経験則。もちろんそれは売れ残り本が良書であることを意味しない。この当たり前の事がしばしば忘れ去られることにはそれなりに深い理由があるのだろうな、きっと。

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コメント / トラックバック2件

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  1. Dr. Waterman said, on 2007年9月10日 at 0:33

    >ベストセラーは十中八九クズである(UBSGW)

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  2. UBSGW said, on 2007年9月10日 at 12:33

    今晩は祝杯あげませう。


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