求道blog

言わずと知れたこと

Posted in 雑記 by UBSGW on 2007年9月14日

言わずと知れたことながら、突然の辞意表明ではあった。遠からず辞職するであろうという点においては衆目の一致するところであったと思われるが、それにしても施政方針演説を行った直後というタイミングでの辞意表明を予測できた者は皆無に近いのではないか。もちろん私にとっても意想外であった。

今回の安倍首相の辞意表明に関してマスコミは相も変わらず惚けたことばかりを取り上げている。「前代未聞の辞任劇」「コソコソ病院に」「ぼっちゃんがポキッと折れた」「気まぐれ病」・・・。およそ下世話な話に終始している。むしろ大手メディアよりもネット上のマイナーなジャーナリストにこそ見るべきものが多い。いつものことではあるが。
米朝関係の急速な改善傾向やイラクからの米軍撤退計画、原油価格の高値更新にサブプライムローン問題等々、日本の経済・外交政策上重要と思われるトピックが安倍辞意表明の前後に立て続けに表に出てきているが、どうやら今回もまたまっとうな報道は(少なくとも大手メディアには)期待できぬようだ。「ポキッ」「支持率」云々。 辞める人間への支持率調べてどうすんだ?!

今回の騒動の中で私にも思うところ考えるところが多々あったものの、それについてはいずれおいおいと書くつもりでおります。野人はいま、落語でも聞くかSF小説でも読んでいたい気分なり。

それにしても今回のマスコミの報道ぶりは、「歴史に残る」・・・ことはまずあるまいが・・・・、少なくとも私の記憶にはしっかりと焼き付けられた。忘れることは出来まいよ。  政治家を罵倒するのも結構だが、彼らをその座につけたのは誰なのか、なぜ彼のような人物がそのようなポジションに就き得たのかというところに考えが及ばぬ限り、今後も似たようなことが繰り返されることは避けられまい(現に繰り返されている)。
むしろ安倍首相が「無能で」「空気の読めない」「総理としての資質を欠いた」人物であったとすれば、私たちはまさにそのことに感謝せねばならないのではなかろうか。もし”彼”が政治的カリスマ性と実務能力を備えた稀に見る政治家であったならば・・・と。
今のところ、そのような趣旨の言葉を私はマスメディアのどこにも見出せないでいる。そしてそのことに危惧の念を覚えなくも、ない。

そんなわけで今は落語でも聞いて笑い呆けることにしたいのでありました。

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コメント / トラックバック2件

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  1. katsu said, on 2007年9月15日 at 1:56

    安倍首相が提唱していた「戦後レジームからの脱却」というスローガンは、基本的には茶番に過ぎないと思っています。
    そもそも、奥様と仲良く手を繋いで飛行機から降りてくるような人が、本物の「保守反動」や「復古主義者」などであるはずはないのです。
    そこのところ、実は本人も自分がなにを言い、なにをやっていたのか、またなにがやりたいのか、分かっていなかったのだろうと思います。
    何もかもが、政治家の一族に生れたこと、祖父や亡父、前任者の幻影に振り回されていたがゆえの悲劇のようで、なにやら哀れさを感じてしまうのです。

  2. UBSGW said, on 2007年9月15日 at 9:15

    katsuさん
    >そもそも、奥様と仲良く手を繋いで飛行機から降りてくるような人が、本物の「保守反動」や「復古主義者」などであるはずはない

    思わず「そのとおり!」と笑ってしまいました。
    おっしゃるとおり、事の済んだ後から見れば大抵の事は茶番です。小泉ほどには露骨にアメリカへ追従できず、かといっていまさらタカ派的イメージはひっこめられない、という苦衷は察するに余りるところでした。
    おそらく今、安倍氏自身も右往左往しつづけキリキリ舞いさせられ続けた1年をしみじみと振り返っておられることでしょう。
    そもそも筋金入りの復古主義者が、現代政治における「人気取りゲーム」に参加することはなさそうです。そうした”レクリエーション”に参加すること自体が(おそらく)既に復古主義とは相容れないものでしょうから。

    しかし世論の動き方を眺めるにつけ思うことがあります。それは、たとえ筋金が入ってようが偽装されたまがい物であろうがそんなことはお構いなしに政権を握ることが出来るのだとすれば、安倍氏個人の資質などより余程危険かつ重篤な病弊が日本を(あるいは世界を)覆っているのかもしれない、ということです。彼のような人物「ですら」首相になり得ることは心胆寒からしむものがあります。

    筋金ついでですが、ブッシュ氏も安倍氏と同様「筋金」が入っているようには見えません。

    蛇足ながら、私が「いまは落語を聞きたい」と書いたのは茶番劇への皮肉ではなくて、ただ芸術に触れたい、津波のように押し寄せてあっという間に消え去っていくものよりも日々の小さな波によって夾雑物をそぎ落とされたあとに残る「確かなもの」に触れていたい、そんな気分からきています。


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