求道blog

ただの読書メモ

Posted in 備忘録 by UBSGW on 2007年9月16日

今日はメモ代わりに最近読んだ本を列挙してみる。

  • 村上春樹  『神の子どもたちはみな踊る』『アフターダーク』『ノルウェイの森』『羊をめぐる冒険』
  • バルザック 『ゴリオ爺さん』
  • カフカ 『変身』
  • D・ポイカート 『ワイマル共和国』

どれもこれも思いつくまま気の向くままに濫読しただけのことだが、唯一姿勢を正して(ただし寝転んで)読んだのがポイカートの『ワイマル共和国』。十数年ぶりに読み返してみたことになるわけだが、1920年代のドイツと21世紀初頭日本との相似性に目を瞠った。いまさらではあるが。

一部分だけ引用してみる。

公的に保障された福祉の拡充という成功物語には、きわめて問題のあるバランスシートの一面も対応していた。というのも、社会的扶助の官僚制化と標準化にともない、社会的規律化の圧力が高まり、社会的援助は非人格化されていったからである。そのうえ、致命的なことに、世界経済恐慌のなかで、経済循環にそって展開された国家の社会的活動の限界が明らかになった。つまり、好景気のときには、社会的給付の要請が相対的に少ないのに、その拡充のための財源があるが、反対に、国家による社会政策的介入が緊急に必要とされる恐慌の時代には、国家は節約と給付の削減を余儀なくされたのである。

『ワイマル共和国 — 古典的近代の危機』 p112

そこで言われていることはあっけないこと。じつにあっけない。そりゃそうだわな、といったところ。「じゃあどうして・・・」と言いたくもあるが。世界は常に不変である、か?と皮肉とも自嘲ともつかぬ言葉を漏らしたくもなる。

前世紀後半、世界を怯えさせた東西対立。人類を数百回絶滅させ得るほどの核兵器。かわって今は世界中の商品を買い入れてもまだあり余るほどのマネーの洪水。使えない兵器、使いきれぬほどのマネーを抱えてあるときは恐怖しまたあるときは右往左往する人間たち。恐怖も慾望も限りを知らぬ。使えぬマネーをクルクル回して金利とかいう「安心(?)」を買う。そして慾望は募るばかり。雪だるま式とはこのことか。効率化という掛け声に覆われた世界が陥った大いなる無駄づかい。人間ばかりが擦り減ってゆく。

「人間喜劇」(@バルザック)

ぅおおぅ、、ここはどこ?

ポイカートを読みながら思ったことがひとつ。
どれほど客観的データを満載した論説も、それだけでは信用しかねる、ということ。

ときに煩わしいほどデータを盛り込んだ論説がある。が、どうも私にはそのような論に説得力感じることが出来ない。自説を補強するデータばかりを持ってくる論説。数字ばかりで「言いたいこと」がまるで見えない論説、ああでもあるがこうでもあるとデータの解説で終わってしまう論説、いくらもある。

積み上げるばかりではなく、ときには自らの飛躍を押さえ込むために客観的データを用いるという形の論じ方もあってよいのでは。むしろそちらが本道だと思うのだが。

一方で、悲憤慷慨するだけで終わる論説、論旨の見えない論説、屋上屋をチマチマ作るばかりの論説もある。これまた同様に読むことが苦痛となる。

畢竟、論者がどのようなところで自らの飛躍を自制しようとしているかが皆間見えたときにこそ、彼が信頼に足る論者かどうかが浮き彫りになるように私には思える(もちろんポイカートは私にとっては信頼するに足る論者であった)。

そんなことを考えた今日の天気は晴れのち混沌。

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コメント / トラックバック1件

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  1. 遠方からの手紙 said, on 2007年9月17日 at 4:59

    政治家に「国家観」は必要ではあるけれど

     本当かどうかは分からないが、中国の古典『史記』によれば、聖帝尭の時代に許由という人がいたそうだ。 この許由、非常に優秀なひとだったそうで、それを聞いた尭は彼に天下を譲ろうとした。ところが、許由は富も名誉も思いのままというせっかくの話を断り、箕山という…


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