求道blog

profitとwage

Posted in 雑記 by UBSGW on 2007年9月23日

いま読みかけのスタインベック『怒りの葡萄』も残りあとわずか、佳境に入ってきた。農場経営の機械化・大規模化によって代々守ってきた土地を奪われた1930年代アメリカの農民たちをとりまく悲劇。野人としては(ちょっとだけ)身につまされる思い。

ここしばらくスタインベックのほかにA・スミス、F・カフカ、M・ウェーバー、D・ポイカート等々、常時5、6冊の本を同時並行して読み進めているが、やはり古典と呼ばれ得る著作には計りしれない力を感じさせられる。というのもそれらを読んでいると、私の頭の中にいろんな想念が生まれ再喚起され、そしてそれらが戯れケンカしつついつのまにやらこの私にそろって「ここから出してくれ~」と懇願し始める。そう簡単には出してやれるものか。出ない出せない時間も(ちょっと)ない。

スミスを読んでいてふと思ったことが一つ。それはなにかといえば、いったい今私たちは何を求めているのか、ということ。
「金が欲しい」「給料上げてよ」「もっと生活が楽にならんかなぁ」

やっぱりカネだろうか?

何かといえばやれ「利益」やれ「コスト削減」・・・の時代。
ほんとうに「利益」とはカネのことなのか?「コスト削減」とは無駄ガネを削るということなのか?

スミスを読みながら、私は自分がこのあたりのことをちっとも考えてこなかったことに気づいた。そもそも私の興味の対象は歴史、文学、つまりは生粋の文系人間(アジモフなんかは楽しく読めるが)。経済に関してはまったくの門外漢。経済原論でマル経もチラ見したが覚えていることなどほとんどない。その上で私の疑問というやつを開陳してみる。

というか、「利益」「儲け」「利潤」「対価」「労賃」・・・と、カネに関していろんな言葉を思い浮かべることはできるのだが、実際のところ、「カネ」に関して今この世に流通している言葉の「意味」が私にはわからなくなった。というか今までろくろく考えていなかったことに気づいた。

手がかりはprofitとwage。
国富論は手持ちがなかったのでとりあえずインターネットでテキストを入手("The Project Gutenberg EBook of An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations, by Adam Smith")して読み始め、まっさきに眼にとまったのがこの二語。profit(利益)とwage(労賃)。日本語版でそれぞれなんと訳されているのかはまだ確認していないが。

果していま、わたしたちが「カネ」「金」という言葉を用いるとき、その意味(語義)はこの2語のどちらにヨリ近いのだろうか。そんなことを考え始めた。profit、wage、salary、これらはどれも計るとき、表現するときはいずれも「何円」「何ドル」というふうに区別なくいっしょくたにされてしまうのだが、ときには立ち止まってそれらの持つ意味、それらの違いをちょっとばかりでも考えてみた方がよいのではないか。もし人が、利益も労賃もサラリーも(あるいはこれに類するさまざまな言葉)すべてを単に、多い、少ない、高い、安いといったスケールでしか捉えられなくなっているとすれば、そこには意外に大きな問題が腰を据えているのかもしれない。

額に汗して得たwage、僥倖と(幾ばくかの知恵)によって得られたprofit、その間には金額の多寡以外の差異は誰にも見出せないものなのだろうか。

web版のウェブスターでprofitの項を見ていたら、Near Antonymsとしてcostとかlossとあった。利益の対義語は損失。うん、これには納得。では、労賃(wageやsalary)に対義語はあるのか?類義語はあれども対義語はなさそうな気がする。そんなとりとめのないおもいにふけりながら読書三昧の日々。

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