求道blog

避けられたはずの「悲劇」

Posted in 雑記 by UBSGW on 2007年11月16日

ここしばらくずっと一冊の本を読みつづけていた。シェエラザード。今回読んだものはマルドリュスによる仏訳からの重訳。愚直なまでの逐語訳、というのがこのマルドリュス仏訳の特徴の由、私も生半可に意訳されたものよりよほど想像力をかきたてられていたかもしれぬ。
天女姫のおはなしは日本の昔話にもあったのではなかったか・・・。先日のドリフターズ金庫ではないが、話中話、話中話中話、話中話中話中話と入れ子になった物語が魅力的(詳細略)。というかドリフ・サブプライムのエントリ自体がこのシェエラザードの入れ子構造からの連想であった。その程度にはこの幻想世界に浸かっていた。重訳ではない、アラビア語原典から直接日本語に訳したものがあるらしい。 前嶋信次訳 アラビアン・ナイト 平凡社東洋文庫。これもいずれ読むとする。

翻って現実世界はあいもかわらず偽装と疑惑と銃撃事件。もういまの日本では至る所で銃声が響いている。いっそ拳銃所持解禁をでも検討してはいかがであるか >政府当局者殿。もしそれが不穏当だと仰るのなら相応の対応をとるべきだろうに、どうやらその気もないらしい。銃解禁は経済的には消費拡大につながるから歓迎すべきとでもいうのだらうか。それとも無法者をとっつかまえることに消極的にならざるを得ないご事情でも?このようなところで放言する輩がテロ(なんでもかでも「テロ」と呼ぶ風潮への皮肉も含む)に怯えて少しは大人しくなるだろうという目算であるのなら統治者としては頼もしいとも言えなくもないか。
しかし疑問は残る。
まあ考えすぎであろう、シェエラザードに惑溺した後遺症かもしれぬ。それはともかく、夢の持てない時代である。唯一持つことが許される夢は「金持ちになる」ことだけ、なのかね。

過ちを認めず誤りの存在そのものを認めないことによって、新たな悲劇が生じふたたび絶望の淵に突き落とされる人たちが生まれる。
嘘のようなほんとのハナシとやらは本当にあるのかもしれぬ。下に少しばかり引用を。「冤罪」の部分を入れ替えればかなり一般に通じる教訓ではなかろうか。
避けられたはずの悲劇は言葉本来の意味での「悲劇」ではない。人間の働きかけをまるで寄せつけないものだけが悲劇と呼ばれる」べきであり、そうでないものは単なる犯罪であり単なる怠慢であり単なる人災である。そう私は思う。

避けがたい冤罪というのは、実は少ない。ほとんどが避けられる冤罪なんです。それはシステムの問題です。初動捜査のちょっとしたミスがその後の捜査を狂わせたり、たった1人の人間が間違えを認めないがゆえに冤罪が起きてしまったりする。早い段階で間違いに気づいて、誰かが直せば、起きなくて済んだ冤罪はいっぱいある。冤罪はもっと少なくできるはずなんです。
周防正行インタビュー

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