求道blog

徴税人と罪人とパリサイ人

Posted in 報道・ジャーナリズム by UBSGW on 2007年11月28日

痛ましい事件や事故、不祥事は絶えない。人類の歴史がそうしたものとは縁を切れないのは事実そのとおりなのだろう。ただ、近年ではやれ報道の自由だとか言論の自由だとか知る権利だとかなんとかかんとかその他諸々を理由にした正当なる覗き見、権利を有する野次馬が胸を張って大道を闊歩しているようにも見える。

事件事故について広く報知して再発を防ぐとかいうお題目もあるのだろう。しかしもしそうであるならば、個々の事件の個別的な事情、たとえば被害者の実名やら生活状況やらご近所の評判やらがいったい何の役に立つのか私には分からない。犯罪の手口、予防の方法、犯してしまいがちな過ちの啓発等々、知らしべきことは他にたくさんあるような気がするのだが、実際の報道に接してみるとそのようなものは二の次どころか五の次、六の次といった風だ。

マスメディアという業種はいったいどのような価値をわたしたちの社会にもたらしているのだろうか。むろん犯人の映像が公開され広く報道された結果事件が解決したということはあるのだろうが、その対価はあまりにも莫大なものに思える。

また、マスメディアは常に事件を探し、紙面を埋める草々を血眼で探している。大事件が起こったときは幸い、そうでなければやれ消費期限シールの張り替えだ、FAX誤送信だ、公務員が勤務中に煙草買いに出たなんてことばかり。その暇に、喧嘩に明け暮れる○暴事務所を包囲して24時間生中継でもすればちったあ役にも立つだろうに。実際のところは「たいへんだ~!、たいへんだ~!」そればかり。それのみ。○暴に限らず巨悪にはいたって盲目。てか見ないふり。

「あなたたちはぶよ一匹さえも漉して除くが、らくだは飲み込んでいる」

マタイによる福音書23.24
およそマスコミの「追及」とやらは組織に甘く個人に厳しい。そしてその眼、すなわち事実を見抜こうとしているはずの眼は曇りがちだ。昨今目につくのは消費財産業、公務員の不祥事に関する定型記事。「偽装」「不祥事」「期限切れ」。権力の番人、権力の掣肘者というよりはうるさ型の道学者もどきというところ。むしろ組織的な不祥事に関しては弱腰ないしは無力。組織体のそこここからハミ出したちっぽけな吹き出物に眼を奪われて、群盲象を撫でている。

「今の時代を何にたとえたらよいか。広場に座って、ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている。
『笛を吹いたのに、
踊ってくれなかった。
葬式の歌をうたったのに、
悲しんでくれなかった。』
ヨハネが来て、食べも飲みもしないでいると、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、人の子(イエスのことを指す:引用者注)が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。しかし、知恵の正しさは、その働きによって証明される。」

同 11.16-19
あいつは徴税人だ、罪人だ、不信心者だと罵るばかりで我が身を省みることもないパリサイ人と彼らマスコミの方々とが異なるものなのか些か疑わしい。そうでないことを示してくれよ。不幸にも犯罪に巻き込まれた人や家族はそっとしてやれないものか。

バイブルがこれほど面白く読めたことは未だかつてなかった。さて、読むか。

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