求道blog

戦い終わって日が暮れて

Posted in 雑記 by UBSGW on 2007年12月3日

あ~テステステス
ってしつこいね、俺も。

日本語入力との戦い(おおげさだな)はどうにか一段落。細かいところでまだまだ調整が要りそうだがどうやらまともに打てるようになった。今回の一件で必要に迫られて「日本語入力」やら「電子辞書」やらでネット検索しまくったことで、これはこれで奥の深い分野なのだと思い知らされた。

しょーもないニュースは相変わらず盛りだくさんだがブツクサ言うのもいいかげんイヤになったので無視。ブログのネタを思いつかないときにでも利用させてもらうとする。くだらんことは右から左にスルー。これ基本だよね。
しかしくだらんというかどうでもいいことというのか、そういうのはそれはそれで(なんか日本語ヘン?)ホッとしたりもする。つまらんニュースはお呼びでないが。

元来俺はエッセイというか身辺雑記みたいなものを読むのが好きで、本もそうだしブログもそう。PCの画面でカッチンコッチンな論文読むのは結構しんどいので、可能な限り本で読む。寝ながら読めるし。ときにはブログでも「おおお」と興味を惹かれるものには(一見)硬そうに見える文章もあるが、そういうのでもテーマそのものは硬派でも叙述の方は行ったり来たりしながらの思索の「散歩」という風情のものだと思わず読みたくなる。序論展開結論みたいな「論述」はやはり本で読む方がラク。なぜだろうね。目標地点目指して脇目もふらず必要なものだけを視野に入れてまっしぐらに進む論者について行くのがしんどいともいえるし、もしかするとエッセイとか「散歩」のほうは話者の顔が見えるような氣になれるからかもしれない。

そもそも顔が見えてこない文章てのは情報を伝達するという機能的な面では必要十分なのだろうが、たいていの場合おもしろみには欠ける。「顔が見える」というのは、単にその筆者との面識のあるなしや文字通りの「顔(肉体)」を知っているという意味ではなくて、文面から透けて見えてくる筆者の人間性というか特徴らしきもののことをここでは言っている。その顔が一向に見えてこない言葉というのはどうも言葉が軽くなるとでもいうのか、硬いけど軽いというのか、小さい、薄い、浅いような気がする(こともある)。そう思いながらもいざ己が書く文章は・・・という気もするが。

つまるところ、論述めいた演説だとか○○批判だとかもたまに面白いと思うことはあるものの、やはり俺は身辺雑記、どうでもいいハナシ、それがなに?というようなハナシ、裃を脱いだ寛いだハナシが好きなのだなあ。ま、そのくせ書いてるこたぁまるで反対のことばかしじゃねぇかよ、と言われればまぁ返す言葉はない。いや、ちょっとくらいは返したいけど。そもそも論述になってないもんばかしだし。
ごまめの歯ぎしり、か。これいいね。ブログタイトル変えようかな。

広告

戦い終わって日が暮れて はコメントを受け付けていません。