求道blog

ドストエフ好き

Posted in 海外文学一般 by UBSGW on 2007年12月22日

つまらん駄洒落で誤魔化すしかないほどに中身のないエントリですのでご注意ください。

しばらく前にドストエフスキーの『罪と罰』を読み、そして今回『カラマーゾフの兄弟』を読んでみた。でも読書感想文は昔から嫌いなので書かない。今までに、何かの本を読みながら思いついたことをパラパラとブログに書きつけたことはあるが、この2冊についてはちょっと今は書けそうにない。

ネットでちょいと調べてみたが、『罪と罰』は1866年、『カラマーゾフの兄弟』はドストエフスキーの最晩年1880年の刊行(2年越しの連載だそうで)とのこと。片眼で最近の世相を、そしてもう一方の眼でこれらの著作を見聞しあるいは読んでいると、いったいこの100年以上の間人間は何をやってきたのかと思ってしまう。まるで進歩がない。いや、そもそも人間は時代とともに進歩してゆくのだという根拠のない幻想に落ち込んでいただけなのだろうかという気になってしまう。もっとも今の私は、仮に人間が進歩向上を知らない生き物であるとしてもさほど驚かない。そもそも何がどうすればそれが進歩といえるのかということすら知らないのだ。誰かご存じの方、いらっしゃいませんか?

たしかにわたしたちの身の回りにある「もの」はドストエフスキーの時代から比べると大きく変ったのだろう。では果たして人間そのものは? はたしてどれほど変り得たか。そもそも変り得るものか。

この2冊の(あるいはドストエフスキーの)重要なテーマの一つはどうやら無神論にあるらしい。信仰の対象としての神を喪失した人間の脆さ、危うさ。そしていや増す苦悩。ここでいう「神」をユダヤ・キリスト教的な神とだけ捉えてしまっては、日本人にとってドストエフスキーはいつまでも「お客さん」「海の向こうの過去の人」。べつに「神とは何か」なんぞと深刻になるまでもなく、いま、日本でも神の喪失とその帰結が露わになっている。誰かさんたちは「規範意識を再建せよ」と唱えているが、そもそも彼らが規範意識とはどのようなものかをどれほど真剣に考えているのかは大いに怪しむべきところ。はっきり言ってまるで見えていないのではないか。

そんなこんなのあれこれをいやでも考えさせられることになった今回のドストエフスキー体験だが、いまのところ独り言以上のことは書けそうにない。ここまで書いてみてそれがはっきりした。よってしばらく発酵待ちとする。だまっていても、肝心かなめの大事なことは必ず浮かび上がってくる。要らないものは放っておいても沈む。大事がなんなのかははそのときはじめて分かるはず。「これこそがおれにとって一番大事なものだ!」というものを抱えこんでしまった頭の良い人たちは往々にしてそのゴミといっしょにドボンする。

ふとおもいついたこと。
並ぶものなき権威を誇ったかつてのキリスト教に反逆した人々の真の後継者は、いま「無神論教」という新たな権威・宗教に立ち向おうとしている人々であって、決して軽薄に無神論に飛びつき怪しげな小理屈を振りまわしている阿呆どもではない。

ドストエフスキーは登場人物のひとりに次のように語らせている。引用は原卓也訳『ドストエフスキー全集』1978年 新潮社刊。

「俗世の学問は、一つの大きな力に結集し、それも特に今世紀に入ってから、神の授けてくださった聖なる書物に約束されていることを、すべて検討しつくしてしまったため、俗世の学者たちの冷酷な分析の結果、かつて神聖とされていたものは今やまるきり何一つ残っていないのだ。しかし、彼らは部分部分を検討して、全体を見おとしているので、その盲目ぶりたるや呆れるほどだよ。全体は以前と同じように目の前にびくともせずに立ちはだかっているというのに、地獄の門もそれを征服できんのだからのう。」

「はたしてこの全体が十九世紀間にわたって生きつづけてこなかっただろうか、今も個々の心の動きの中に生きつづけているのではないかね? すべてを破壊しつくした、ほかならぬ無神論者たちの心の動きの中にも、それは以前と同じように、びくともせずに生きつづけているのだよ! なぜなら、キリスト教を否定し、キリスト教に対して反乱を起している人たちも、その本質においては、当のキリストと同じ外貌をし、同じような人間にとどまっておるのだからの。いまだに彼らの叡智も、心の情熱も、その昔キリストの示された姿より、さらに人間とその尊厳にふさわしいような立派な姿を創出することができないのだからな。かりにその試みがあったにせよ、できあがるのは奇形ばかりなのだ。」

無神論者といおうが狂信者といおうが、他人の話にまるで耳を傾けないような人間すなわち自分自身に疑いの目を向けることのできない人間が多い時代なんてものは、間違いなくかつての中世暗黒時代とまるで変るところがない。歴史は繰り返しつづける。もちろんこれは単なる認識。それも私だけのね。

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