求道blog

音楽を愛する友へ

Posted in 音楽・映画 by UBSGW on 2008年1月10日

エドウィン・フィッシャー著『音楽を愛する友へ』(新潮文庫)を読む。初めて読んだような気もするが、以前に読んだのに忘れているだけかも知れぬ。以前から背表紙を眺めるたびに、題名がどうも「らしくない」と思わぬでもなかったが、今回ようやく納得がいった。

この本、フィッシャーの二つの文にブルーノ・ワルター(ユダヤ系の指揮者)の講演原稿「音楽の道徳的ちからについて」を併収しているが、フィッシャーとワルターの関係はよく知らぬ。フィッシャーの文の原題は"Musikalische Betrachtungen"(音楽的観照)と"Johann Sebastian Bach"。訳者佐野利勝によるあとがきに、詩人尾崎喜八の霊に捧げる、とあるのをみてようやく『音楽を愛する友へ』という邦題に納得。よく見れば巻頭に献辞もあったのを見落としていたようだ。

楽曲の解釈一般についてのほかに、モーツァルト、ショパン、シューマン、ベートーヴェン、J.S.バッハについてそれぞれ書き綴られているが、そのどれもがしかも自らの体験に裏打ちされた格調の高いもので、凡百の音楽評論が哀れにすら感じられる。むろんそれは比べる方がどうかしているというもので、そもそも実作と評論とを同じ土俵で戦わせてもあまり意味がない。これとは幾分違った意味ではあるが、作曲家と演奏家とを同一次元で比較することにもまたあまり意味はないだろう。とはいえ評論にもまた「生きた評論」と「死んだ評論」があるのは事実だが。別段どちらが善いとか悪いとかいうはなしではないが、そうした違いは厳然としてある。が、それについては詳細を略す。フィッシャーはこう言う。

音楽自身が物語るものと、一人の作曲家が音楽を通じてわれわれに語るところのものとを厳密に区別して考えねばなりません(・・・)たとえ作曲家が音楽によって苦悩を語ろうとも、音楽自体は同時に幸福を小声で囁いている、そして、音楽の独自の声は作曲家の語る縷々たる物語よりも強力なのであります(・・・)わたくしは音楽を目して、作曲家がそのなかに自己の体験や感情を叙述するところの一種の私信と見なすことに対して警告を発せねばなりません。

フィッシャー『音楽を愛する友へ』新潮文庫

仮りに誰かが、一人の人間の思考や行動が全てその人物の自我から発するものとする”機能的な”人間観から物事を眺めるならばこのフィッシャーの言は理解しがたいかも知れぬ。しかし人間は意志のみにて生きるに非ず。人間が決して意志の働きによって生きている訳ではないと考える人にとっては寝ているあいだも人間は生きていることになる。が、人間の生を意志(自我)の面からのみ見るならば寝ている人間は意志がない故に「生きていない」ということになろう。こう考えてみると、現代社会が如何に「生きるということ」を軽視、いや見過ごしているかが分かる。これは一人ひとりがそうだと言うのではない(そうなのかもしれないが)。社会における「哲学の不在」といってもいい。なにもかも分解し分析してしまう専門家は数多いてもその逆を行う人は少ない。人間を分解し、心理を分析し、それでおしまい。まるで複雑な機械をためしに分解してみた子どもがそれを元に戻せずそのまま放置し、また別のものを分解し始めるようなものか。いま一体どこに幾人の哲学者がかろうじて存在しているのだろうか。

話が逸れた。
フィッシャーはここに一人の演奏家=再現芸術家として観照した音楽について語っている。したがってこの本からバッハやモーツァルトら作曲家に関する”知識”を得ようとしてもおそらく無駄に終わるだろう。もし偉大な作曲家の音楽を如何にして己がものとするかという観点を著者と共有することが出来るのなら、この著作から得られるものは計りしれないほど多いだろう。なお、1886年バーゼル生まれのピアノ奏者・指揮者であるフィッシャーだが、この本の叙述にはC.G.ユングの匂いが強く感じられる。1875年生まれのユングとは同世代とは言えないまでもまぎれもない同時代人でもありまた同郷人でもある。この二人の関係についてちょっと興味が湧いた。

ユングもしばしば老子の言葉を引くが、フィッシャーもまた次のように言っている。

いつの日か迷妄の夢はさめる。そして、モーツァルトの音楽においては、内容、形式、表現、ファンタジー器楽的効果など、いっさいがごく単純な手法によって達成されていることに気づくのである。この日が訪れるとき、君はあらゆる模索、あらゆる欲求から完全に救われるのだ。ここには、老子の言葉の意味で、真に超克をなし遂げたなんぴとかが立っているのである。老子はこう言っている。
欲せんとすることなくして欲し、
為さんとすることなくして為し、
感ぜむとすることなくして感じ、
小を大とし、
少なきを多しとし、
悪しきを善しとす。
是(ここ)を以て聖人は遂に大を為さず、
故に能くその大を為す。
君が人生においてこのことを体得しないかぎり、君は決して、神々のごとく現実と喜戯する芸術境地に達することはできまいし、モーツァルトの音楽に、彼が要求しているもの——すなわち人格の調和——をあたえることもできはすまい。だが、そこへと通じている道は、なんという労多き道であることだろう。

同上

意志こそ全て、とする限りは、このような二律背反はタワゴトでしかなくなる。このタワゴトめいたことを頭で「理解」するのは簡単だ。しかし頭で理解しても身体は正直だ。そういえばしばらく前のこと、図書館である総合雑誌を眺めていたらやたらと傍線が引いてあった。それは「品格こそが大事なのだぁ」といった内容の文章であった。皮肉なことではある。脚下照顧。

追記
この文庫本は現在絶版らしいが、増補版がみすず書房から『音楽観想』として出ている。値段は文庫の十倍もするがそれだけの価値はあると思う。
(2008年1月17日一部改稿)

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コメント / トラックバック2件

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  1. はるかの記録 said, on 2008年1月19日 at 4:17

    ピアノピース 久石譲 Spring/人生のメリー

    「Spring」「人生のメリーゴーランド」「Orienral Wind」とも良い曲です。ピアノの旋律に合ったメロディをしているので引いていて気分の良くなる選曲だと思います。ただ、「Oriental Wind」は、CMで使われていたものとは別物で、「Works 3」などに収録されているタイプの楽曲になっています。余談ですが、「Works 3」

  2. みおのblog said, on 2008年2月3日 at 13:27

    別れの曲~ショパン名曲集

    聞きました。奏者によって同じ曲でもこんなに感じが違うんですね。最初は違和感あったけど好きになりました。感動しました。聞きたかったエチュードがはいってて嬉しいです。贅沢な1枚。演奏、質、録音、選曲も良くて大変満足な1枚だと思います。個人的に気に入ったのは木枯らしと、ポロネーズ2曲は素晴らしい演奏だと


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