求道blog

神サマの足音が隣組

Posted in 社会 by UBSGW on 2008年3月21日

このところ、本もまともに読めない日々が続いていた。時間に追われながらあちこち走り回っているのも悪くはないけれど、まるで便秘のように、日を追って苦しくなっていく。で、こうして腰を据えてみると、「出したい」にもかかわらずこれがなかなか出ないのであった。く、くるしぃ・・・。

というわけで今日は知人から聞いてちょっとばかし驚いた話を書く。
何に驚いたかといえば、なんでも伊勢神宮が200億だか500億だかの金を集めて回っているのだそうだ。20年に一度の遷宮のための費用なのだそうで、なかなか大したものだ。去年度今年度と年間20億以上の奉賛金が集まっていると伊勢神宮式年遷宮広報本部のホームページにある。これはやはり「塵も積もれば山」となり、「賽銭も積もれば億」となる例証であろうか・・・。いや、どうやら違うらしい。

「隣組に供出していただく」のだそうだ。いまどき「隣組」だの「供出」などとは言わないのだろうが、今もってそのようなものがなくなったことはない。「うつくしいクニ」日本の麗しき伝統健在なり。かの大戦後のほんの一時期に冷遇されたことはあったものの、喉元過ぎれば熱さを忘れる・・、もとい神国日本の伝統は不滅なのである。かの日本国憲法は信教の自由をうたい公金の支出に制限を設けることで、かつて国家の保護のもとにあった神道を形式的には冷遇しているかに見えるが、公共団体が陰ながらそれを支援していたことは靖国合祀問題の経緯からもうかがうことができるであろう。

国家機関や地方公共団体がオモテに立ちさえしなければ、憲法上の問題はクリアできるどころか、「自治会のみなさんの自由意志は尊重されねばならぬ」ということで万事オーケーなのだから、懐に余裕のある方はいくらでも寄付なさってはいかがであろうか。ただ残念ながら私の場合はそうではないので、来年の正月に賽銭箱に「寄付」するくらいしかできないだろう。それでも、もう十年以上も初詣でに行ってない私であるから、それはそれでけっこう稀有なことであろうか。

着々と「あの頃」の権威を取り戻しつつある神道と隣組に対しては、もっともっと世間の注目が集まるべきであると私は思うのであった。それともそうした現象には大きな地域差があるのだろうか。

なんにせよ、もし「本物の」自由意志でそうした寄付がなされるのならば、誰にも文句は言えないし言う必要もない。そうだろう? 
なお、個人的には、日本における「自由」の概念とその歴史的変遷、これもまた追いかけるべきテーマであると思い始めている。右に左に揺れ動く「自由」。興味深いテーマである。せめて死ぬまでには手をつけたいものだ・・・。おもしろい参考文献をご存知のむきは是非ともご教示下さい。

歴史は堂々巡っている、か。

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