求道blog

ゴロ寝読書と雨の空

Posted in 書籍一般 by UBSGW on 2008年6月21日

昨日今日は布団の中でひたすらゴロゴロダラダラと幸福なひとときを過ごしていた。ああ、もちろん読書である。「山口六平太くん」(とある漫画のキャラクター)ではないけれど、悠々自適・晴耕雨読こそ小生の理想とする生活であります。もちろん現実の生活はといえば悠々自適なぞ遙か遠くにかすんでおり、わずかに晴耕雨読を(それもときどき)実践できている程度に過ぎない。それにまた「あれもこれもやらねば・・・」という状況におかれるとムラムラと闘志が湧いてくる(こともある)というのも事実ではある。

合理的期待というものは必ず裏切られる。人間は自分のことについてはよくわからない不完全で不確定な存在です。

平川克美『ビジネスに「戦略」なんていらない』洋泉社 2008年

この際、文脈を無視した引用はご容赦を(本来は市場経済について述べられている箇所)。

数年前とは打って変わってやれ格差解消、非正規雇用の待遇改善・・・と言う言葉をよく新聞やらで見かける当今、それはそれで「けっこうだとは思うけどね・・・」と心中ぼやきつつも、同時に「ウン年前に言ってたことと反対だよなぁ」と思ってしまう私は単なる「なんでも反対野党もどき」ではないつもりだ。私としては、「それっ右だ!!」「いやっ左だ!!」「いやっ真ん中だ!!!」と盛んにやっているところを見るにつけ、つい、「えっと、『正しい』ことって何すか?」「あの〜、『結論としては』つーのは『とりあえず』ってことと同義っしょ? 時にはさ」などと言いたい気持ちがこんこんと湧きだしてきて抑えられなくなってしまうだけなのだ。そのような人間である私にとって、上の平川克美の一冊はまったくもって一服の清涼剤となったのでありました。この一冊(またその中で問われていたこと)についてはいずれ日を改めて真面目に考えてみたいと思っている。

ほかに読んだ本は、村上春樹訳の『グレート・ギャツビー』(中央公論新社)、清水俊二訳の『長いお別れ』(ハヤカワ文庫)。(チャンドラーなら村上春樹訳の『ロング・グッドバイ』という選択肢もあったじゃないかと言われればその通り。でも今回は敢えて清水訳を選んだ。)。奇しくもこの両訳者ともにそれぞれが翻訳した作品、すなわちフィッツジェラルドの”The Great Gatsby”、そしてチャンドラーの”The Long Goodbye”について、口をそろえてその文体の持つ音楽性に言及していた。

そんなことを言われると、原書を読むしかないよなあ。というのが今回の結論。むろん「とりあえず」という意味である。

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コメント / トラックバック4件

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  1. Mark Waterman said, on 2008年6月22日 at 22:15

    古い小説なので原書を求めずともGutenberg系で読めますが、当時の大企業の社員の平均給与(月額)と同じ額の家賃での物語というのは所詮夢物語でハリウッドと中流でもないのに自分が中流と勘違いしている人たちが好む「夢物語」ですね。まあ、聞くところによると、少なくとも翻訳者村上春樹はもともと金持ちの坊ちゃんだったようですが。

  2. UBSGW said, on 2008年6月23日 at 0:22

    なるほど。そうでした。その手がありましたですね。探してみるとします。著作権の有効期限てのは50年でしたか、70年でしたか?

    たしか村上春樹の親御さんは高校の国語教師(だった?)とどこかで読んだ記憶があります。「高校教師は金持ちか?」という気もしますが、田舎に行くと高校教師をはじめ「公務員」の方々は金持ちに見えなくもないですよ。結構いい車を転がしてたりしますもの。
    大分県で発覚した教員採用試験汚職ではないですが、「事実上世襲制になってんじゃない?」という雰囲気もあるみたいですから、まるで二世三世だらけの政治の世界の五十歩百歩なのかもしれません。「公平」だの「平等」だのも一種の「夢物語」でせう。

  3. Mark Waterman said, on 2008年6月23日 at 12:33

    あれっ、と思って、幾つか。

    確かにアメリカ国内では新法(著者の死後70年)以前の作品は初出から95年になったしまったのですが、合法的な国では全文出ていますよ。
    http://gutenberg.net.au/ebooks02/0200041h.html
    こちらのこの小説の現状としては、今でもよく売れる小説であることに変わりはありません。もう夏休みに入ったのですが、新学期(新学年)を迎える前の高校生や大学生がよく読む本の一つです。長さが手ごろでペーパーバックなら10ドルくらいで買えるのも人気の元でしょう。しかし、当時の世相まで正確に読み込んでいるかどうか、彼らには無理かもしれません。

    そのこととも関連しますが、ウィキペディアで「村上春樹」を見てみました。自分自身で書いていることと違うところがありますね。500万円も1974年に資金にできる若夫婦はまれです。私は少し歴史をかじったせいで、時代や場面を想像するときに庶民の経済状態を考える癖があります。この時代といえば、大卒の年収が100万円ちょっとのときです。こつこつ溜めて溜まる額ではなかったはずです。

    それに父親の職業が教師ということですが母親も教師のダブルインカムです。そのうえ両親共にwell-to-do の実家を持っていた。付けで幾らでも本を買えるというのは並みの家庭ではありません。多少、想像力があれば、かなり恵まれた少年・青年時代であったことがわかります。

    世襲制は、社会が安定した時代に出てくるものですが、同時に社会が腐ってくるときでもあります。公平や平等大好きの人たちが、意外やそのことはあまり問題にしない。それは公平や平等を旗印にするオピニオンリーダーとなっている人たちの多くが、一種の世襲制の流れの中で社会の表舞台に出てきているからだと思っています。

    長々とすみません。なぜか貴ブログは心が落ち着きますので、長居をしてしまいます。ありがとうございました。

    Mark W. Waterman

  4. UBSGW said, on 2008年6月24日 at 23:22

    gutenbergのリンク、有り難うございます。Web上で見ると、「え!? たったこれだけ(の量)?」と感じました。

    村上春樹についてはさっそく私もウィキペディアを読んでみました。私には、彼の人生が(少なくとも外面的には)「曲折のない」もののように思われます。職歴も資産も全くない人間が数百万の銀行融資を受けることは、通常なら至難でしょうね。

    貨幣の価値をはじめとして、それが書かれた当時の種々の背景(前提)を吟味してゆく過程は、私には非常に興味深く面白いものであると感じられます。「ギャツビー」という小説に関しても、舞台装置の「裏の裏」に目を向けてはじめて、この小説の面白さが見えてきました。二十歳前後の頃にこの小説(村上春樹ではなくて野崎孝の訳)を手にしたときは、物語冒頭、プール付きの豪邸だの資産家(のセガレ)だの出てくる(出てきそうな)ので、ものの10ページも読まずに放り出したものでした。恥ずかしながら、まともにこの小説を読み終えたのは近年のことで、以前このブログに感想文を書きました。
    (過去記事)http://ubsgw.seesaa.net/articlel/33282429.htm → フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』

    長文でも短文でも、コメントは有り難く読ませていただいてます。「揚げ物」の類の胃にもたれるものは好きではありませんが、明確で、すっきりとして、爽やかなものなら、それこそ暑苦しい夏の夜に涼をもたらしてくれます。


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