求道blog

近い落日

Posted in 教育 by UBSGW on 2008年7月27日

暑い。
突き刺すような西陽がそこらじゅうに降り注いでいる。暑い。飯食う気力もないのでソバを食う。う、うまい。喰ったら、書いて、寝る。久方ぶりの更新。3週間ぶりか。

このところ何かとホットな大分県で本日39度を記録とか。教員汚職事件で「熱い」大分県にふさわしい出来事(でもないか)。暑さのほうはまだまだこれからだろうが、事件の方は新聞報道によればどうやら終息に向かっているらしい。誰もが口をつぐんで事件の拡がりは掴めず、証拠がないの立件できず、いったん採用したからにはおいそれと解雇もできず。大山鳴動鼠一匹二匹三匹四匹、以上。

こうした汚職は何も大分県に限った話でないのは多くの人が予想するところ、しかし余所は「うちではそのような事実は確認されませんでした」「みんなに聞いてみたけど誰もやってないって言ってます」、と。
盗人に「あんた盗んだ?」と聞きますかい? あほらし。

私は、今回の事件の報道に接するたびに昨年だか一昨年の「未履修問題」を思い出す。富山県あたりで発覚し、調べてみればほとんどすべての都道府県で行われていたという。さらにはその懲戒処分の決定に当たって、とある県教育委員会は「うちだけ突出できない」と厳罰をためらった由。この未履修問題に絡む懲戒処分はどの都道府県においても「だめでしょ、そんなことしちゃ、もうやっちゃだめよ」程度で終わった。まさに横並びの処分であった。どこかの校長が自発的に退職したという話も、寡聞にして聞かない。

今回の教員汚職事件に関しても、そのように「余所がやってるならウチでもひとつ」「余所でやらないことはウチでもやれません」という”せかい”に於いて、「よそが何をやろうと誰がなんと言おうと、ウチではそんなことはやりません」という都道府県があるかどうかは大いに疑わしい。つまりは余所の都道府県でも同様の問題はあるだろう、ないはずはない、というのが私の所論(の前提)である。現に、合否が公にされる前に、議員らには事前に合否を知らせていたという事実は、次から次へとあちこちから出てきていた。

「だから大分県以外でもやっている」
ということを言いたいわけではない。
私が述べんとするところは、次の2点にある。
一つは、情実人事が大分県以上に酷いところはあるのか、あるとすればそれはどこか。そしてもう一つは、情実人事のどこが悪い(悪くない)のであるか、というところにある。

新聞などの報道によれば、大分県における教員汚職の背景には競争倍率の高さがあるのだそうだ。もしそれが事実なら(おそらく事実だろう)、ポストが少ない都道府県、ポストが少ない校種、ポストが少ない教科に関して不正が行われている可能性は高い、ということになるはずである。もし文科省が、かつての「未履修問題」のときのように、あとからあとから、あそこでもここでも、行われていたという事態を避けたいのであれば、ひとつ大分県よりも人口規模の小さい都道府県、そして採用人員の少ない校種・教科に的を絞って調査してみればよい。そもそも単に競争倍率の高低よりもむしろ採用ポストの絶対数の少ないところほど、不正の存在する蓋然性は高く、そしてそれによる悪影響の度合いも大きい。たとえ大手一流人気企業の採用試験の競争倍率がどれほど高かろうとも採用枠が大きければ、情実人事によって生じるマイナス面は大勢に影響しない(飼い殺しにすればよい)。

いっぽう、公務員・教員もまた「大手一流人気企業」と言えなくはないわけだが、万一にも「飼い殺し」レベルの教員に当たってしまった生徒への影響はあまりにも大きい。一人の「飼い殺し」教員が定年までに関わるであろう人間は、少なく見積もっても一年間で40人、30年で延べ1200人。少なくはない、また、彼ら教員が生徒へ与える影響力は生半なものではない。しかも生徒は「客」ではない。客は売り手を選べるが、生徒は教員を選べない。そこのところが、ふつうの「大手一流人気企業」と公務員教師とを隔てる。ま、公立なんぞに行かず私立へ行くという選択肢はあるが。

とはいえ、こんなことは私が改めて言うまでもないことか。そもそも人事が情実で決まったとしていったい何が悪いか。私は「人事は情実」と思っている(認識している)。
ただ、公務員(教育公務員も含む)と情実人事はなじまないと考えられたからこそそれが規制されているはずである。今回の事件で明らかになったことの一つは、「やはりルールは有って無きが如し」という実態であった。マスコミのなかには、今回の大分県での事件で「いちばんの被害者は生徒だ」と言っていた(最近よく聞く常套句だ)ものがあったが、彼らマスコミの言い分は多分に感情的であるように私は思う。彼らに聞きたい。なぜ生徒が被害者だと言えるのか。どういうわけだか知らないが、彼らはそこのところをさっぱり語らない。私が思うに、なぜ今回の事件が生徒に対して与える影響甚大か(「最大の被害者」かどうかはさておき)と言えばそれは、子供たちをして「ルールがルールとして機能していない現実」及びそれを体現した人物(教師)を文字通り目の当たりにさせ、かつその人物によって「ルールを守る」ことを強いられるというやりきれない環境に投げ込むところにあると私は思う。

ところで、「ルールがルールとして機能していない現実」は、なにも今回の件に限らずとも日本中あるいは世界中どこにでもあらゆる状況に於いて見いだすことができる(誇れたことではないが)。そして大人にとって理想と現実の隔たりは水のようなものだ。それはときどき涼をもたらし、ときには人間を飲み込む。上手く使えればよい。ただ、「ルールがルールとして機能していない現実」の中で育った子供がどのような大人になるのか、あまり考えたくはない。

そんなところから私には、最大の被害者は、生徒と言うよりはむしろ日本の未来とでも言える気がしている。ただでさえ中国その他の競争相手が台頭する一方で国内経済は失速、未来への展望が開けない現代日本。これはまさに内憂外患ではなかろうか。「ジャパンアズナンバーワン」から「近い落日」「日の沈む国日本」へ。いまさらか。
いっそ日本の未来を考えるなら、教員の解雇・採用を巡る一時の混乱など小さなことだと言えなくはない。文科省はトカゲのしっぽを切り落としては如何か。むろん、「みんなでやれば怖くない」「一致団結の精神」「長いものに巻かれることの大切さ」を子供に教えてやることで新しい日本の未来が拓かれると言って言えなくはない、のか。


ここまで書いて私に分かったことはといえば、分からないことを書くと分からない文章になる、というあたりまえのこと。しかし久しぶりに書いてみて結構頭がスッキリ。もう少し頻繁に更新したい。そうしよう。

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コメント / トラックバック2件

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  1. MWW said, on 2008年7月30日 at 0:38

    いや、十分、自分には理解できますよ。
    人事なんて、教育現場であれ、私立は自分の好きなタイプを雇用します。むしろ、これは当たり前です。教育理念というものがありますから。
    しかし、
    >公務員(教育公務員も含む)と情実人事はなじまないと考えられたからこそそれが規制されているはずである
    わけで、「飼い殺し」レベルの教員が採用されることになったら、その悲惨な教育結果を想像するとぞっとします。

  2. UBSGW said, on 2008年7月30日 at 8:17

    大分県での不祥事発覚は日本にとって現状打開を図る「天佑」なのかもしれませんが、天佑を生かそうとする気は国にも地方にもないようです。きっと後ろ暗いところがあるのでしょう。
    教育の不備は将来的に”負の拡大再生産”へつながると思うが故、私は教育にひとかたならぬ興味関心を抱いています。もっとも、子供に未来への希望を託すなんてことはワガママな大人の言い分なのかもしれませんけれど、少なくとも贈賄や収賄その他のルール違反はやっていませんから、疚しいところはありません。
    「こどもはくにのたからです」
    少子化のご時世、「稀少資源」を粗末にするなど言語道断。


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