求道blog

お辞儀と国旗と国家

Posted in 政治 by UBSGW on 2009年11月16日

嫁入りしてきたばかりの小娘に小姑があれこれ難癖をつけるようなことは、半世紀前ならともかくとして今の日本ではもうあり得ないのかもしれないけれど、それに似たようなことは相変わらずよくある。

鳩山政権が始動したばかりの時期に「内閣の誰それは国旗に一礼したがだれそれはしなかった」云々ということがあった。さすがに大手マスメディアでは取り上げられることもなかったようだが、インターネット上ではそれについて喋々しつつ「国旗に一礼しないとはけしからぬ」という主張(?)がけっこうあるらしい。

こういうものは、自民党の残党どもが暇にあかせて書き込みまくっているのであらうか。先の衆議院選挙前のネガティヴキャンペーンアニメやらつまらない三行広告(これは総選挙メモとしてこのブログにその一部を記録した)などの前歴からして、それも無きにしもあらずという気がするなぁ・・・。

そもそも”国旗に一礼”という儀礼というか虚礼というか習慣を始めたのはどこの誰なのだろうかということが気になっている。こうした習慣もごく内輪の(「一礼あたりまえやろ〜」という人たちの集団)ものなら別に異論もないし、そもそも私自身出るとこ出たらやりますよ、そういうこと。ただ、それはあくまでもそれが自然な振る舞いだと感じられる限りにおいてのことであって、いつ何時も・誰もがそうすべきことだとは思わないし、ましてやそうした虚礼(おっと失礼!)を他人に強制したりしたくはないし、そうした虚礼(おっとまた失礼!!)を無視したり敢えて避ける人を糾弾しようとはまったく思わない。そしてまたそれはなにも国旗に一礼に限ったことではない。思いつく限りのあらゆることに関して、そうした「習慣の強制」は余計なお世話だし、薄気味が悪い。

ま、つまるところ(つまるほど書いてもないけど)、この国旗に一礼を始めたのはどっかの田舎の校長先生あたりではなかったかと勝手に想像している。で、たぶんそういうことを頼まれもしないのにやるような人は戦争中には他人を非国民とののしり生徒を戦場に喜んで送り込み、いざ戦争が終わったらコロリと転向して民主主義を語って得々としているような人間だろうな、と思う。国旗に一礼という習慣が決してそれ自体は悪いことでも非難されるような習慣でもないのだとしても、そうしたあれこれをさもそうするのがあたりまえで、そうしないやつは礼儀を知らんとか非国民とか変わり者とか言って他人をののしるような仕儀は既にそうした心性自体が礼儀からも道徳からもヒューマニズムからもかけ離れているのではなからうか。

この国旗に一礼のあれこれについてネットのどこかで見た後に、ふと見たテレビのニュースで今の防衛相(北澤なんとかさん?)と来日したアメリカの国防長官との面談風景が映し出されていた。一連のシーンの中で両国の国旗を素通りする米国防長官の後ろで国旗に一礼する防衛相が映っていたのをみて、感心するよりも先にその杓子定規な振る舞いからは、先に書いたような校長先生の滑稽な姿を連想させられたのであった。私はそのときの国防長官の振る舞いを失礼だとはそもそも思わぬが、なんなら「アメリカの国防長官は素通りしたのに我が国の防衛相だけが一礼するなどということは国家の体面上はなはだ怪しからぬ!!」とまぁ言えなくはないのだろう。しかしそもそも或る場所に居合わせたとして、そこにいる誰か一人でも「国旗」なり「ご真影」なりに一礼してしまえば、もうほかの人たちもなんとなくそうせざるを得ない雰囲気になってしまうのが日本人の習性でもある(違うか?)。その伝でいくと誰かに何かを(たとえば国旗に一礼とかを、ね)暗黙のうちに強制してしまうような振る舞いは避けるというのもまたスマートなやり方だと言えなくもない。なんだかだらだら書いている割にわかりにくくなってしまったが、要は、自分自身にとっては当然あるべき振る舞いであったとしてもそれを他の人に押しつけたり(暗にでも)強いたりするような真似は(躾や教育は別として)決して褒められたものではないぞ、とそう言いたい。

そしてそれをひっくり返せば、たとえ外交儀礼から見れば疑問符がつくようなことであっても人間儀礼(人としての礼儀)という観点から見ればとても好感の持てる振る舞いもあるな、と思う。立場や地位はさておき年長者を敬う(敬うような振る舞いをとる)という彼(か)の国の習慣を尊重する、郷に入れば郷に従うというような立ち居振る舞いは単に年長者を敬うということそのものよりもなお礼儀にかなっているように思う。表面的なものだけに目を向けてあれこれ難癖をつけるのはちっとも難しくない(それこそ阿呆なちんぴらにもできるような)ことである。もちろん、アメリカ人の視点で見れば「ちょっとどうかね、それは・・・」となるのも理解はできるし、当然の反応ではあるかもしれない。ただ、見る人によっては”卑屈な態度”ともとられかねないオバマ大統領の一件は、少なくとも私にとってはアメリカという国の印象をいささか変えるだけのインパクトがあった。

自分が大切に思っているもの(こと)を自分と同様に大切に思ってくれるという態度、あるいはまた或る人が大切に思っていることそれ自体を尊重する態度というのは、まさしく礼にかなっていると言ってよいような気がする。それはまた国旗に一礼するもしないもあくまで当人の意志に任せるのが本来の「礼儀」にかなっていると言うべきことのように思われるのであった。

FOXテレビは15日、オバマ大統領のお辞儀の場面と、2年前に当時のチェイニー副大統領が天皇陛下との面会で頭を下げずに握手する映像を比較。その上で、オバマ氏の今回の行動は「大統領として適切ではない」などと批判した。また、ロサンゼルス・タイムズ紙のウェブサイトは、今回の皇居訪問の際の写真と、オバマ大統領が4月にロンドンでの国際会議で会ったサウジアラビアのアブドラ国王に深く頭を下げたように見える写真を掲載して、「新しい米国大統領は、世界の王室にどこまで低姿勢で行くのか」と皮肉った。

「オバマ大統領の両陛下への「お辞儀」、米で波紋」(Yahoo ニュース)


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