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星新一の対米開戦論と民主党政権

Posted in 政治 by UBSGW on 2010年1月30日

昨日の鳩山首相施政方針演説を読んだ。演説の内容から(あらためて)明らかになったことは、少なくとも現時点で鳩山政権は(政治的に)身を切る覚悟を決めていないのだということだった。政権発足後、折に触れて「維新」だとか「新生」だとかの言葉を耳にしてきたが、政権発足後の経緯も踏まえてみれば、おそらく首相の言う「見直し」「組み替え」「再編」はどれも字義通りに読んだ方がよさそうだ。つまり単なる”模様替え”しかやりません、あるはもうそれしかできませんということであり、今回の演説で(ようやくと言うべきかとうとうと言うべきか)それを自ら鮮明にした。

鳩山政権は、発足直後から後退戦に次ぐ後退戦の連続であった。その最初の徴候は既に政権発足以前に浮上した鳩山首相自身の政治資金疑惑であった。結局この疑惑自体は昨年末に首相自身が検察に上申書を提出する形でひとまず沈静化したかに見えるが、おそらく今後も事あるごとに批判・揶揄されることは避けようもなく、まさに首相にとってのアキレス腱になるであろうことは想像に難くない。こうして民主党攻撃の橋頭堡を確保した検察庁は、本命小沢一郎への攻撃に着手した。その後の経過諸々委細省略すれば、こちらもようよう所期の目的を果たした、若しくは果たしつつあるとは言えそうだ。いずれにせよ鳩山首相も小沢幹事長も言ってみれば脛に傷持つ身となったことによって、当人たちは勿論のこと民主党政権そのものが検察庁(つまり官僚)から頑とした楔を深々と打ち込まれた。検察庁にとっては昔も今も「ベベンベン、あ〜政治家殺すにゃ包丁いらぬ 資金の出所洗えばよい、ベベベノベン」なのであった。

先日のエントリ(「『人民は弱し官吏は強し』再読」)でも触れた作家星新一は「官僚について」というエッセイの中で官僚に対する強烈な皮肉を込めて次のように書いている。

官吏ほど、このスリカエや身のひるがえし方のうまい者はない。(中略)官吏集団ほど強力な圧力団体はないはずである。それなのに、だれにもそうと気づかせぬ点、絶妙としか呼びようがない。もっとも、これは私たちが盲のせいかもしれない。
黒い霧のたぐいの責任は、すべて代議士に押しつけられ、官吏はいつも清潔である。自分の選挙区に橋や道路を優先して作らせ、あれこれ言われる代議士があるが、代議士の口ききでどうにでもなる側があればこそではなかろうか。どことなく変だ。官僚機構とは強いばかりでなく巧妙で不死身の怪獸である。民衆の手におえるのは、せいぜいママゴンとかいった程度の小怪獸ぐらいである。

官僚について 『きまぐれ星のメモ』角川文庫(1971) P263

このブログでも以前政治資金について「政治資金問題と浮気の効用」などいくつかの記事を書いたことがあるが、政治家とカネとが切っても切れない関係にあることはいまさら疑うまでもない。議員という職務がさまざまな「利権」と直接関わっているということ自体が、さらに様々な利権すなわちカネを”呼ぶ”のである。つまり、カネはカネを呼ぶ、とね。そしてそうした「利権に直接絡む」仕事は議員さんだけでないことは誰もが承知している。

政治家とならんで利権にまつわる仕事を為す官僚、そしてその周辺に存在する各種団体と官僚とのただならぬ関係を真っ正面から取り上げ、その改革・大掃除を主張して政権を取ったのがまさに今の民主党政権である。そして民主党が戦後(ごく短い期間をのぞいて)常に政権を担ってきた自民党との差異化を図ることの出来るポイントもここに存している。その理由は言うまでもなく、官僚と一心同体となってしまった自民党に行政改革は実行できない(なぜなら行政改革は自民党そのものの解体をも意味するからだ)のに対して、民主党には行政改革を実行できる「可能性」があるからである。

反共(反共産主義)という看板も既に意味を失った21世紀に入ってこのかた、自民党の存立基盤が単に「政権与党である」というその事実のみにあったことは、自民党が野党転落後、かつての支持団体の離反に打つ手無く、また理性的・建設的な政治的主張すらまともに出来ない、ただ議場でヤジを飛ばすか与党の揚げ足を取ることしかできない見るも無惨な(議席数とは別の意味での)泡沫政党に成り下がっていることからも窺うことが出来る。一方で自民党の野党転落という事実からは貴重な教訓が得られた。その教訓とは、いま有権者から最も強く求められているのは「バラマキ」「財政出動」では無いという事実である。なぜなら財政出動いわゆるバラマキ政策ごときなら、海のものとも山のものともつかない民主党でなくとも自民党政権にでも出来たことでありまた実際に自民党政権が実行してきたことである。民主党はなぜ自分たちが選ばれたのか、なぜ自民党でなく民主党が選ばれたのかをもう一度問い直してみた方がよいのでは無かろうか。

もし民主党が、規制緩和や郵政民営化、対米追従外交、新たな市場経済といったものへの対抗こそが政権を獲得し得た要因であるなどと考えているようなら、民主党が自らの過ちを思い知らされる時期はそう遠くないだろう。もしかすると参院選に勝利して盤石の体制を確立してから取り掛かるのだなど返答が返ってきそうだがしかし、あらぬ方向に走り出しそうな気配のある民主党にさらに「追い貸し」すべきがどうかは判断の岐れるところとなるはずだ。

星新一は先のエッセイを次のように締めくくっている。

私は最近、対米開戦論をとなえている。勝てるとは思っていないが、それでいいのである。やがて進駐軍がやってきて、行政改革をやってくれるかもしれないからだ。怪獸ヤクショザウルスを退治できるのは、それ以外にないにちがいない。
しかし、まあこんなことは起りえない。官吏は永久に安泰である。電子計算機が発達しても、そのための官庁がふえるだけだ。(後略)

同 P264

(追記)
このエントリを読んで「官僚に抵抗しても無駄である」などと誤読する奴は、いっぺん死んでこい。という声を耳にした。その通り。

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