求道blog

3・11

Posted in 備忘録, 歴史カテゴリ by UBSGW on 2011年4月24日

3・11以後、なかなか区切りがつかぬままの事態を、口にする言葉も見つからないままただじっと、日本の端から見ていた。最近になって「危機対応から復興へ」などという意外な言葉が聞こえ始めたので少し書いておきたいと思った次第である。

3・11震災以来の日本が直面している事態は史上初の原子爆弾投下とそれに続く敗戦に似ている、と言われれば確かにそのような気がしないわけではない。そう、たしかに今回の地震と津波及びそれによって生じた福島県の原子力発電所の危機的事態と、成り行き任せで突入した挙げ句に破滅的な敗北を喫したあの戦争とを並べてみると、ひとつには日本人の誰もそれを望んでいなかったという点に、そしてもう一つには日本の将来を大きく変える出来事であるという点に共通したものをみることはできるだろうし、無力化した議会政治と後手後手に回る行政の対応もまたそうした見方を強化するかもしれない。

しかし私にはどうもそうした類比は些か無責任な傍観者的見方であるか、あるいは震災復興が視野に入り始めた現時点の状況に我知らず引きずられたひどく楽観的な見方であるように感じられる。考えてみれば分かるように、1945年のそれは(少なくとも当時に於いては)「暗から明へ」の転換点であった。しかし今回の特に福島の原子力発電所の危機はむしろ「明から暗へ」の転換点であるところが異なっており、むしろ1945年と2011年のそれぞれの「破局」は全く正反対の内実を持っているように私には思われる。

3月11日の震災以前からの状況、そして震災から約1ヶ月半が経過した今日までの政府対応や政治情勢その他から推測するに、日本という「患者」の症状は今後さらに重篤なものになると私は見ている。その見方は、仮に「フクシマ」の事態が今以上に悪化せず、あるいは徐々に改善するのだとしても全く変わらない。そしてもちろん、日本が「フクシマ」の鎮静化に失敗でもすれば、その影響は文字通り計り知れないものとなるのは改めて言うまでもない。繰り返して言うが、「フクシマ」が鎮静化しても危機は終わらない。いま、そこで危殆に瀕しているのは日本に住む人々のうちの一部分であるが、今後の日本が直面することになるだろう新たな危機は、おそらく全ての日本人にとって我が身に直接差し迫ってくる危機として実感されることになるような気がしてならない。

もしそう遠くない将来において日本が決定的な破局を迎えることがあるとすれば、日本がそこまでに至る道程を後世の人々が語る文脈に於いて、今回の「フクシマ」はいくつものエピソードのうちの一つとして、ただし日本が破局に至った理由をとりわけ分かり易い形で示す象徴的なエピソードとして語られることになるだろう。一方で3・11震災そのものは、人類の歴史上何度となく起こったあまたの災害の中のひとつとして歴史という絵画の後景に退くことになる。しかしそれでも3・11震災は、「それ以前から既に引火性ガスの充満した危険状態にあった日本の政治的・経済的破局の引き金をついに引いた大災害であった」という歴史的意味を持つことになるのかもしれない。

どうやら、日本という既に転落を始めていた岩は、今回の地震と津波によって助勢され、そればかりか岩ごと「放射能まみれ」になってもはや誰にも手のつけられない(あるいは手をつけたくない)ものになったような気がしてならないが、それにしたところで、これから先に起こる出来事次第では誰もが「あれくらいのことは全然大したことではなかったな」と思うようなこともあるかもしれぬし、ないかもしれぬ。

ここまで読んでみて「悲観的に過ぎるのではないか」と思われる人もおられるかもしれないのでいちおう付け加えておくと、私自身はそれが悲観的に過ぎるとは思わない。事実、楽観的な見方でないと言われればその通りだが、それでも私は、一般に個々の人間の「意志」が事の行く末に影響を及ぼす可能性を完全には否定しないという点でまだまだ楽観的である ((V.E.フランクルはこう書いている。「強制収容所を経験した人は誰でも、バラックの中をこちらでは優しい言葉、あちらでは最後のパンの一片を与えて通って行く人間の姿を知っているのである。」)) 。仮に私が悲観的であるとすれば、それは3・11が日本の退路を既に断ってしまったと見なしているところだろうか。私の目には、3・11によって日本の選択肢が単に狭まったというよりも、もはや選択肢そのものが失われたことによって(もし日本が「今までの流れ」に逆らうつもりが無いのであれば)唯一残された道は意を決して身を投げることだけという状況に追い詰められたように見える。

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