求道blog

読書日記(2010年2月13日)

Posted in 書籍一般 by UBSGW on 2010年2月13日

ちょっと放っておいたらもう一週間も経ってしまった(このブログのことです)。
2006年に書き始めたこのブログもようよう満四歳となりました。ここ1,2年は更新も間遠になりがちなので、今年こそはと思いながら1月は久しぶりに10回以上更新してみましたが、月が変わって息切れした模様・・・。ここ1週間ばかりは読書日和(お天気があんまりよろしくないということです)が続いたこともあって読む方に専心しておりました。村上春樹の1Q84は続巻がでるとかで、文庫化されるのは当分先のようなのでそれまで気長に待つこととして、今は本棚から「つん読本」を取り出してきては暇を見つけて読んでおります。何冊か読んだ中で特に面白かった(というかまだ読みかけなので「面白い」とすべきか)のはジョージ・ソロスの『世界秩序の崩壊 〜「自分さえよければ社会」への警鐘』、2006年刊行の本なのでほんと「今さら・・・」という感じもありましょうが今読んでも非常に面白いですよ、ハイ。まだ読み終えていないので断言は出来ないですが、邦訳タイトルにある「自分さえよければ社会」というのは、もしそれが原著の文中にある”feel-good society“を訳したものなのだとするとどうも”違うよね”という感じを受けます。いずれにせよ読み終えてからまた書くことにします。
ではまた近いうちに。
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2011/02/02追記
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ゴロ寝読書と雨の空

Posted in 書籍一般 by UBSGW on 2008年6月21日

昨日今日は布団の中でひたすらゴロゴロダラダラと幸福なひとときを過ごしていた。ああ、もちろん読書である。「山口六平太くん」(とある漫画のキャラクター)ではないけれど、悠々自適・晴耕雨読こそ小生の理想とする生活であります。もちろん現実の生活はといえば悠々自適なぞ遙か遠くにかすんでおり、わずかに晴耕雨読を(それもときどき)実践できている程度に過ぎない。それにまた「あれもこれもやらねば・・・」という状況におかれるとムラムラと闘志が湧いてくる(こともある)というのも事実ではある。

合理的期待というものは必ず裏切られる。人間は自分のことについてはよくわからない不完全で不確定な存在です。

平川克美『ビジネスに「戦略」なんていらない』洋泉社 2008年

この際、文脈を無視した引用はご容赦を(本来は市場経済について述べられている箇所)。

数年前とは打って変わってやれ格差解消、非正規雇用の待遇改善・・・と言う言葉をよく新聞やらで見かける当今、それはそれで「けっこうだとは思うけどね・・・」と心中ぼやきつつも、同時に「ウン年前に言ってたことと反対だよなぁ」と思ってしまう私は単なる「なんでも反対野党もどき」ではないつもりだ。私としては、「それっ右だ!!」「いやっ左だ!!」「いやっ真ん中だ!!!」と盛んにやっているところを見るにつけ、つい、「えっと、『正しい』ことって何すか?」「あの〜、『結論としては』つーのは『とりあえず』ってことと同義っしょ? 時にはさ」などと言いたい気持ちがこんこんと湧きだしてきて抑えられなくなってしまうだけなのだ。そのような人間である私にとって、上の平川克美の一冊はまったくもって一服の清涼剤となったのでありました。この一冊(またその中で問われていたこと)についてはいずれ日を改めて真面目に考えてみたいと思っている。

ほかに読んだ本は、村上春樹訳の『グレート・ギャツビー』(中央公論新社)、清水俊二訳の『長いお別れ』(ハヤカワ文庫)。(チャンドラーなら村上春樹訳の『ロング・グッドバイ』という選択肢もあったじゃないかと言われればその通り。でも今回は敢えて清水訳を選んだ。)。奇しくもこの両訳者ともにそれぞれが翻訳した作品、すなわちフィッツジェラルドの”The Great Gatsby”、そしてチャンドラーの”The Long Goodbye”について、口をそろえてその文体の持つ音楽性に言及していた。

そんなことを言われると、原書を読むしかないよなあ。というのが今回の結論。むろん「とりあえず」という意味である。

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『もてない男』再論

Posted in 書籍一般 by UBSGW on 2008年1月1日

新年早々憎まれ口を叩くのも無粋であるからして、昨年からの積み残し(というか下ろし残し)で一席。ほろ酔い気分の鼻歌のようなもの。再論などというタイトルだけど、たいしたものではありません。ただの雑感です。

しかしあれですね、20年ですか。平成20年。いつのまにやら大きくなっちゃってさ。昭和はとおくなりにけり、か。やだね、まったく(いや、ぜんぜん厭ではないんだよ)。あの日のことはさすがによく覚えている。小渕さんが神妙な顔で掲げた「平成」の二文字、丁寧ではあるがあじもそっけない二文字を今でもはっきりと覚えている。
とーきーのーなーがーれーにみーをまーかせー
いつのまにやら二十年。

え、なんですと?話が見えない?
そりゃとうぜんです。もてない男は気が利かないのであります。わるかったね、空気読めなくてさ。いや、冗談ですよぉ笑うとこですって、ここは。
まあなにごとにせよ、てめえのことをあげつらってるうちはよそさまに害はなかろうからね、勘弁してくれ。

そもそも笑い話は無性に好きだが、他人を笑いのネタにするようなヤツは好きではない。これと同様、他人の不幸や失策をあげつらうヤツも嫌いである。すると当然(?)自虐的なヤツが好みに合うということになるわけだけど、この自虐というやつも「いいあんばい」でないと苦しい。見ているだけでも苦しくなる(島田さんはときどき苦しい)。この「自虐」のエネルギーがどこかで壁にぶつかって反撥してきたときに厖大な笑いのエネルギーが発散されることがある。そして私は『もてない男』にそうしたものを感じたのであります。

実際の著者(小谷野敦)がほんとうにモテナイのかどうか私は知らない。しかし彼はこの本のなかであくまでも自虐を貫いている。いや、確かに数人を対象にして毒舌を弄している箇所はあるのだが、それすらもなぜかイヤらしさがない。おそらくこれは著者の自虐エネルギーがそのようなイヤらしさをも圧倒していたせいではないだろうか。仮に筆者がこの本を書くにあって、(評論家にありがちな)自分だけは別世界の人的な立場をとっていたならば、そのような毒舌は読者をして辟易させることになったのではないだろうか。その点、この本は自虐と毒舌とがきわめて微妙なバランスを保ち続けていた(つまり良い加減であった)というのが私一個の感想である。

これは当然といえば当然のこと(違いますか?)
もしあなたが、モテル男(女でも可)がモテナイ男を揶揄し愚弄する文章を読んで楽しめますか?あるいは自分を中立者に仕立ててモテナイ男のモテナイ男たるゆえんについて蘊蓄をたれるのを楽しめますか?評者がある一人の人間のあり方なり活動なりを、まるで神の如き立場に立って論じるものを読むことで、その人間の生き様の一端にでも触れたと感じることができますか?そのような論を読むことで読み手自身の何かが変わるもんですかい?

一般論としてつけくわえておくと、確かに自分のことを棚上げしなければ語れないこと、自分のことを棚上げしてでも語らねばならないことというのはあるのかもしれない。しかしそれらについてはよほど謙抑的でなければ、この世には裸の王様が増えるばかりだ。少なくともこの著作において小谷野は裸の王様ではなくて、裸の道化を演じきって(あるいはさらけ出して)いるように見えた。著者の様々な見解のうちに、私の持つそれと異なる部分ももちろんないわけではないものの(結構たくさんあった)、面白いものは面白いのだから面白いのだ。

ついでにこの本のキャッチコピーを考えてみた。
「もてない男でも楽しく読める!」
UBSGW謹呈

ん、これだとレジに持って行きにくいかもしれぬ。
「モテる男の必読書!」
のほうが良い?

正月早々なに言ってるのかね。
ま、正月気分ということでどうぞご勘弁。

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